MAZDA T1100
今年102周年を迎えた「MAZDA」。
個人経営のコルク栓メーカーを会社組織とし、大正9(1920)年に「東洋コルク工業(株)」として創立された。
機械事業の松田重次郎が加わり、翌大正10(1921)年に社長に就任する。
多角化を目指して昭和2(1927)年に「東洋工業(株)」とした異色なメーカーであるが、わが国独特の3輪車全盛時代をダイハツと共に支えた3輪車を中心にその後の流れをたどると昭和6(1931)年には同社初の3輪トラック「マツダ号DA型」
[燃料タンクのスリーダイヤは、販売を委託した三菱商事のマークだ]
[My SKETCHBOOKより]
の製造を開始する。
その後、昭和7(1932)年に「DB型」の製造を開始、昭和9(1934)年に「DC型」に進化した。
同年「KA型」を発売、翌昭和10(1935)年には「TCS型」、「KC36型」を、3年後の昭和13(1938)年には「GA型」を発売したが、戦時下の昭和18(1943)年10月には3輪車の製造がゼロとなった。
そして昭和20(1945)年8月6日、広島に原爆が投下され工場も被害を受けたが僅か4ヶ月後には製造を開始した。
終戦4年後の昭和24(1949)年「GB型」を発売、翌昭和25(1950)年「LB型」を発表、「PB型」(6人乗り乗用車)や安全合せガラス製フロントウインドウ装備の「CT型」を発売した。
昭和26(1951)年「HB型」、屋根付きの「CTL型」を発売。
昭和27(1952)年「CTL1型」、「CTL2型」を発売、昭和28(1953)年屋根付き「CLY型」、昭和29(1954)年同「GCZ型」、同「CHTA型」を発売した。
昭和31(1956)年、扉付き「GLTB型」、同「CMTB型」、同「CHTB型」を発売。
さらに昭和32(1957)年、丸ハンドルを採用し大きく進化させた「HBR型」と「MAR型」を発売。
昭和34(1959)年には軽3輪トラック「K360」を発売、翌月、これをバージョンアップした小型3輪トラック「T600」を発売する。
そして今回ご紹介の「T1100」と別途ご紹介の「T1500」が発売された。
カタログの冒頭には「運転がらくで機動性に富む」、「高性能をほこる新設計の4気筒直列水冷エンジン」「きわめて安全性の高いフロントブレーキ」「独特な設計技術をほこるがんじょうなシャシー」「快適な居住性・乗心地の3人乗りキャビン」と謳っている。
4気筒直列「TA型」水冷頭上弁式エンジンは1139cc46ps/4600rpm8kg-m/3000rpmで、トランスミッションは前進4段後進1段2.3.4.シンクロメッシュ。最小回転半径は4.1mで乗車定員3名、最大積載量は1000kgと1500kgの2種、最高速度はそれぞれ87km/hと85km/hだった。
ここにそのカタログからの懐かしい画像をご覧いただく。
小生の記憶の中に、「まき」用の古材などを満載した3輪車が入り組んだ路地裏の銭湯の裏口に向かう光景が今も鮮明によみがえってくる。
正に昭和の風景。懐かしい‼
そして、3輪車開発を手掛けた松田恒次との松田父子の悲願だった乗用車製造。
昭和35(1960)年誕生の「R360クーペ」で実現させ、翌昭和36(1961)年にはNSUバンケル社とロータリーエンジンで技術提携したことは広く知られている。
(敬称略)
[2022-5]