HONDA N360
10数年前、諸外国も含め空前のペットブームだと言われたが、近年もその傾向は続いていると思われる。
生活に「ゆとり」が出てきたものの、その一方でストレス社会に「癒し」を求めているためなのだろうか。「癒される」という意味では、私の経験からも充分理解できる大いなる効用だと思うが、ブームの裏側には様々な問題もあるようだ。相手が生き物であることが大いなる効用をもたらす半面、捨てたりすれば危害を加えたり、生態系を壊すなどの取り返しのつかないことにもなる。正にブームの裏の悲劇である。また、関連産業についても様々なトラブルがあると聞く。飼い主にも知識が要求される現状のようだ。せっかくの「癒しや情操教育」などが良い形で実現されるよう望むところだ。
ところで、ここでペットブームを話題にしたのは今回ご紹介する『N360』が「Nッコロ」の愛称で呼ばれていたことを想い出したからだ。しかし、人気のほどは確かにペットの感もあったと思うが実力は並ではなかった。
「HONDA」は二輪車から始まり、四輪乗用車デビューは昭和38(1963)年のスポーツカー「S」シリーズ。いかにもイメージ通りだと思ったものだ。そして昭和42(1967)年発売の「Nッコロ」につながってくる。
その流れからだろう、パワーユニットは空冷4サイクル2気筒OHC360ccにして31ps/8500rpm、最高速度115km/hの高回転怪力マシンだった。
「性能・居住性・装備……すべての点で<軽>の常識を破ったセダンです」の文字が自信のほどを物語っている。
(関係者と思われるどなたかの書き込みがある)
「エンジン主要部に高価なニードルローラーベアリングを使用」、「前輪駆動」で「前輪は定評あるマックファーソン型独立懸架。後輪には独自の高圧窒素ガス併用のショックアブソーバーを採用」するなど機構的にも特徴あるくるまだった。「工場渡し現金価格(埼玉県狭山)¥313,000」と印刷されたカタログが残っているが、価格面でも魅力的だった。発売後、たちまち軽乗用車のベストセラーとなったり、当時の軽自動車のレベルアップに大きく貢献したことはよく知られている。スタンダードタイプのみでのスタートだったが、すぐにデラックスタイプの「M」が、
昭和43(1968)年には「S」、「T」などの車種追加とATやサンルーフなどの仕様拡大が図られた。
そして昭和44(1969)年、基本は踏襲しながらノイズや振動の軽減など「なんと86項目にもわたり、これ以上は望めない決定的な車格をそなえて、さらに世界中の人びとから愛されるセダンとしての価値を高めました。」とされる改良が施された。
下はその年の発行と思われる総合カタログ。是非想い出してみて頂きたいが、細かい外観上の違いを見つけ出すのも面白いかも!!
さて、発売の昭和42(1967)年と言えば、わが国では第二次佐藤内閣が、世界では「EC」ヨーロッパ共同体と [ASEAN]東南アジア諸国連合が発足した。レコード大賞はジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」。また、週刊少年マガジンで「あしたのジョー」の連載が始まり、ニッポン放送の深夜放送「オールナイトニッポン」の放送開始の年でもある。青春時代の真っ只中にいた団塊世代には懐かしさもひとしおだろう。
冒頭のカタログの裏面には「権威ある自動車専門誌がホンダN360を、性能は800cc級、室内の広さは1000cc級、安全性は2000cc級と評価しました。」とあり「性能・居住性・装備」を説明している。
小気味よい走りが想い出されて、とにかく懐かしい。
(敬称略)〔2019‐1改〕
ホンダN360、これまた懐かしい。
1970年前後3年半、大阪勤務で大阪万博には、20回近く通いました。
東京本社からのお客様案内係でしたが。
私のアパートの近状に、会社の先輩が住んでいて、このN360を購入し、私も同乗し通勤してた車です。
先輩が営業接待などほとんど毎日飲み会があり、帰りは私が一人で乗って帰ることになっていました。
幸い私は、アルコールを飲まないので持ち帰り役でしたが、運転の好きな私には、好都合でした。
本当に懐かしい思い出です。
昭和47年ごろ会社の同期男4人で箱根に行きましたが、さすがに高性能のN360でも上り坂がきつかった思い出が浮かんで懐かしく思いました。
いつも楽しく読ませてもらっていますが、詳細に当時の時代背景が調べてあり、これまたなつかしさ倍増です。