DAIHATSU FELLOW

団塊世代の大量退職。

その一人である私も退職してから早くも10年が過ぎた。その10年の間に特に感じたのは、積極的に取り組めるものがあることと仲間がいることのありがたさだ。趣味にも時間をかけられるし、特典を利用した平日ゴルフなど…スコア?はともかく仲間と過ごすのは有意義だ。さらに、地域の活動などにも積極的に参加し、何かの縁で近隣に住んでいる人たちとも仲間として接してきた。

そう、自分の事ばかりでなく、たまには奥様と温泉なんていうのも良いかも。大事な仲間だから…。

そこで今回は、車名がその「仲間」に由来する「ダイハツ」初の軽乗用車『フェロー』を取り上げる。「ダイハツ」と言えば一世を風靡したあの軽三輪商用車「ミゼット」を産んだ老舗メーカーであり、現在も軽自動車の分野で大御所のひとつである。

昭和41(1966)年、「スーパーデラックス」と「デラックス」の2グレードを発売する。「宝石を思わせるプリズムカット」とカタログにある通りすっきりした角型のボディに我が国初の角型ヘッドランプで、小さいながらもトランクルームを備えた4輪独立懸架の3ボックス。360cc水冷直列2気筒2サイクル、23psエンジンを搭載した最高速度100km/hのFRだった。翌昭和42(1967)年に「スタンダード」を追加。同年秋にはグリルの縦線を除き腰高感を払拭するための変更などのマイナーチェンジ。

…で、昭和43(1968)年発行の総合カタログ(マイナーチェンジ後)をじっくりご覧いただく。

この先、上記の1~7を説明している。
わかりやすい構成だ。

デザインや機能を説明した後は走りを見せ、テスト風景から仕様をまとめている。

じっくりご覧いただけたらその後の流れをたどると

昭和43(1968)年には本格的軽スポーツ車の先駆けとなった「SS」を登場させる。

ツインキャブ32psエンジンを搭載し、最高速度は115km/hの高性能を誇った。上の写真、白のボディに黒のマスクとホイルキャップやストライプ(特別仕様)を配したくるまは強烈なイメージだった。

さらに昭和44(1969)年、「SS」以外のグレードをパワーアップ。20kgの軽量化で最高速度を110km/hとした。

ところで、発売の昭和41(1966)年から後継車「フェローMAX」に引き継がれる直前の昭和44(1969)年あたりの時代を振り返ってみることにする。

マイカー時代の到来で大衆車が続々と登場してくる競争激化の時代。また、ビートルズの来日や日本のGS(グループサウンズ)も全盛の時代で熱狂したものだ。

一方、国民年金法の改正があった。…が、平成20(2008)年頃だったか年金問題で国中が揺れ、一応落ち着きはしたものの将来を考えると大いに不安がある。

「昭和の大宰相」と言われた吉田茂や日産コンツェルンの鮎川義介が逝った。世界では「EU」や「ASEAN」が発足する。東大闘争に代表される大学紛争が激化、成田空港反対派の三里塚闘争もあった。ミニスカートの登場は男性にとっても嬉しい出来事で、アポロ11号の月面着陸は多くの人の感動の出来事だった。ボウリング場で数時間待ったのもこの頃のこと、よく待ったものだ。

さて最後に、つい先頃、平成30(2018)年登場の「トコット」を見た一瞬のイメージからこの『フェロー』を想い出した。

懐かしい。

(敬称略) [2019-1改]

DAIHATSU FELLOW” に対して1件のコメントがあります。

  1. 冨井誠一 より:

    1966年発売、私と同期なのに、名前も忘れていました。
    もちろん、新入社員で車を買うなど、不可能な時代だった。
    入社の動機は、車関係の会社に入社すれば、車に乗れるだろうだった。
    我が人生、こんなもんだろうと納得している。

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