SUBARU 1000

ボクサーの村田諒太はロンドンオリンピックのミドル級金メダリストでプロ転向後WBA世界ミドル級チャンピオンとなったが、最近のニュースで、この逆の場合、つまりプロを引退した選手のオリンピックへの出場制限の規定について公取が日本ボクシング連盟への聞き取りを行い、改正の検討を促しているということだ。

さて、そのボクサーが今回ご紹介する『SUBARU 1000』の特徴と大いに関係?があるのだ。

ボクサーがパンチを打ち出す動作と似た動きをすることから「ボクサー」とも呼ばれる水平対向型のエンジンを搭載していたからだ。

「SUBARU 360」のRRとは全く逆のFFに大転換しての誕生だった。その名の通り1000㏄で55ps。先進技術満載の優れもので、独特のエンジン音が大好きだった。

発売は昭和41(1966)年だ。4ドアセダンからスタート、翌昭和42(1967)年に2ドアセダンを加えマイナーチェンジを施した。

さらに、エンジンと足回りをチューンナップし、国産乗用車初のラジアルタイヤを標準装備したフロアシフトのスポーツを登場させた。

そして昭和43(1968)年にはデラックスにもフロアシフト車を追加するなど大衆車の地位を確立した。

しかし、強力なライバルの出現により昭和44(1969)年には基本機構は変更せずボアアップによる1100ccの「ff‐1」を生み出すこととなる。さらに昭和45(1970)年には、やはり対抗上「1300」にアップされ、その後も「レオーネ」を経て、現在もボクサーエンジンの定評あるFF車が継承されており、富士重工らしい看板技術となっている。

さて、初代発売の昭和41(1966)年は「マイカー元年」と言われ、「サニー」「カローラ」など代表的な大衆車が発売された年、競争激化の時代。また、歴史を辿ると富士重工と同じ中島飛行機に行き着く富士精密からのプリンス自工が日産に吸収合併された年でもある。

一転、音楽の世界では、団塊世代の青春時代に大きな影響を及ぼしたあのビートルズが来日した年である。今でも根強い人気だ。我らのGS(グループサウンズ)幕開けの年だ。

 

上の写真は昭和42(1967)年発行のカタログからのもの。「ハイウェイ時代をリードするFFの高級ファミリーカー」「5人乗りの広く静かな室内」を大きく掲げ、

水平対向の特徴として「低速から高速までねばりがあり、振動の少ない高性能アルミ合金エンジンで、耐久性にすぐれ、燃費性能がよい」と説明している。また、FFについて「あらゆる厳しい道路条件や気象条件で、比類のない、素晴らしいロードホールディングを発揮」するとしている。併せて、「モノコック構造の軽いボディ」であり、低重心でコンパクトなボクサーエンジンを搭載し、FF方式を採用できたことで、「安定した走行性能が得られること」や「室内スペースを広く有効に利用できること」「広くて清潔(「スペアタイヤ等をエンジンルームに格納」)なトランクルーム」「乗り降りのラクな広いドア」(「2ドアセダンのドアは国産同クラスの2ドア車では最大」)などの特長もうたっている。そしてデュアルラジエーターによる冷却装置なども図解している。

現在も継承されている技術の富士重工には更なる期待がいっぱいだ。

(敬称略)[2018‐6改]

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