MIKASA TOURING
株式会社オカムラ「創業50年史」に、このくるまの車名について「どちらの説が本当かは今では確かめるすべはないが、…」とある通り、
「戦艦三笠」
[神奈川県横須賀市の三笠公園にて小生撮影]
説と「三笠宮殿下」由来説があるという。
さらに、「いずれにせよ「ミカサ」の名前にも当時のオカムラの技術者の思いが込められていたのである。」ともある。
くるま好き小学生だった小生も、正直、一発で終わる位置づけだと思っていたが、今回の検証で全くイメージが変わった。
「われわれの手でオカムラのトルクコンバータを使用した国民車をつくり出そう—–自動車開発チームには熱い思いがあった。」
昭和32(1957)年の第4回全日本自動車シヨウに、当時需要が見込まれた「VAN」をデビューさせた。
「日本初のトルクコンバータ式オートマチック車」だった。
「”クルマに乗った家具営業マン“は当時としては画期的な試みだった。」とある。
SPORTS MODEL「TOURING」
[創業50年史より]
[「第6回全日本自動車ショー」展示車. 創業50年史より]
発売の昭和34(1959)年発行の第6回全日本自動車ショー記念出版「自動車ガイドブック」には、仕様と合わせ、
この通り紹介されていた。
責任ない身勝手な要望以外の何物でもないが、子供ながら継続を期待していた。
しかしながら、翌昭和35(1960)年には製造が中止された。
社史にも「当社は家具メーカーとして専念すべきとの周囲からの助言もあり」とある通り、「オカムラ」にとってはクルマ造りを止めたことは正解だったのだろうが、「その後もトルクコンバータの需要は伸び続け、現在でもさまざまな産業車輌に供給し続けている。「ミカサ」の成果は今も生きているのである。」と締めくくられている。
(敬称略)
[2023-9]