CONTESSA 1300
パリ・ダカールラリーにレンジャー(愛称:リトルモンスター)でカミオン(仏語=トラック)部門に参戦し好成績をあげているのが日野自動車であることは、ラリーファンならずとも知る人は多い。
いすゞと起源を同じくするためなのか、両社とも老舗大型車メーカーながら、戦後、外国車のノックダウンによる乗用車製造に着手して国産化を成し、そこで得た技術で独自の人気乗用車を誕生させたあたりも似通った歴史を持つ。
前述の通り昭和28(1953)年に「RENAULT 4CV」のノックダウンを開始、
[昭和29(1954)年モデルのカタログから]
4年後の昭和32(1957)年にはほぼ国産化を達成、そこで得た技術と経験を活かし、昭和36(1961)年には独自開発の「CONTESSA」
[誕生の翌年、昭和37(1962)年に発行されたカタログから]
を誕生させた。
「CONTESSA」とはイタリア語で「伯爵夫人」の意味だ。
初代は「RENAULT」での経験を活かし、カタログには「軽快で安定した乗心地を最大目的として新設計された5人乗り乗用車です」としている。
エンジンは「頭上弁・水冷直列4シリンダ 893cc 35ps/5000rpm6.5mkg/3200rpm」を搭載、独自のRRだった。
その後、東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年には「CONTESSA1300」
[昭和42(1967)年発行のカタログから]
が登場する。
イタリア人デザイナーミケロッティとのデザインによる「モノコック・ボディ」採用の5人乗り「SEDAN」で、
エンジンは「1251cc55ps/5000rpm9.7Kgm/3200rpm」。
最高時速は130キロ以上とされた。
トランスミッションは「前進3段(ハンドルチェンジ)オールシンクロまたは前進4段(フロアチェンジ)オールシンクロ」、ブレーキは「油圧内拡式全輪制御デュオサーボ式」、懸架装置はフロントが「ウィッシュボーン式」でリヤは「スウィングアクスル式」だった。
そして翌昭和40(1965)年には「COUPE」が登場。
同じく、ミケロッティとのデザインによる「モノコック・ボディ」採用で4人乗りだった。
エンジンは「1251ccSU式ツインキャブレータ装備の65ps/5500rpm10.0Kgm/3800rpm」。
最高速度は145キロ以上で、
トランスミッションは「前進4段(フロアチェンジ)オールシンクロ」、前輪には「ディスク・ブレーキ」、「バケットシート」標準装備、懸架装置はフロントが「ウィッシュボーン式」でリヤは「スウィングアクスル式」だった。
ここに「COUPE」発表時発行のパンフレットからの画像をご紹介するので、正に「伯爵夫人」の名がふさわしい(小生の感想)綺麗なくるまをご覧頂きたい。
(敬称略)
[2022‐5]