TOYOPET CORONA MARKⅡ [1st]
「トヨタ自動車 75年史」の「車両系統図」に於いては初代から3代目までを『TOYOPET CORONA MARKⅡ』、4代目を「CORONA MARKⅡ」、5代目以降を「MARKⅡ」としているのでこれに倣い「TOYOPET CORONA」の誕生からの経緯を追うことにする。
「TOYOPET CORONA」の初代については
「TOYOPET CORONA [1st]…Ⅰ」でご紹介の通り、販売の神様と言われた、当時自販社長の神谷正太郎の決断により関東自工とのタッグで昭和32(1957)年に誕生し、
愛称は「ダルマ・コロナ」だった。
そして、後期型としてP型エンジンに変更するなど進化ののち昭和35(1960)年に2代目
が登場する。
「ダルマ」とは全く違うスマートなデザインだったが、このイメージに反し⁉今でもハッキリ過ぎるほど蘇ってくるのはドラム缶に体当たりの豪快なTVCM。
時代は大きく変わって、実は今「YouTube」で見ることが出来るので是非ご覧いただきたい。
その後、昭和39(1964)年に3代目
が発売される。
フラットデッキにサイドのアローラインが特徴とされ、ヘッドライトは4灯式。
4DOORセダン、2/4DOORバン、シングル/ダブルピックが登場した。
当初、エンジンは1500ccの「2R型」70ps/5000rpmを核にスタンダードには1200ccの「2P型」55ps/5000rpmが、トランスミッションは4MTと2AT(トヨグライド)が設定された。
この3代目は、初めてブルーバードとの戦い(BC戦争)に勝利し確固たる地位を得ることとなったばかりでなくアメリカをはじめ海外
でも通用する乗用車にもなったとされる。
翌昭和40(1965)年夏に国産初の2DOORハードトップ、秋にはこれも国産初の5DOORセダン(ハッチバック)を追加。
昭和41(1966)年、昭和42(1967)年とMCを重ね進化し、派生車として「TOYOTA1600GT」
を生み出した。
さらに昭和43(1968)年春にはOHC1600cc「7R型系」搭載の「GOLDEN SERIES」
がデビューする。
そして秋、『TOYOPET CORONA MARKⅡ』が登場する。
これにともなって「CORONA」は「5DOORセダン」を廃止するなど車種整理された。
さて今回ご紹介する「TOYOPET CORONA MARKⅡ」の初代は、4DOORSEDAN、2DOORHARDTOP、WAGON、VAN、PICKUPなど基本11車種52TYPEを揃えた。
エンジンは「OHC1600cc85/100ps」と「OHC1900cc100/110ps」の4機種、トランスミッションは「3段コラム/4段フロア」[オールシンクロ]と「2/3速トヨグライド」[コラム/フロア](3速はフロアのみ)が採用された。
小生の率直な感想だが、毎日多くの現車を目にしていた頃よりカタログなどでしか見られなくなってからの方がアメリカンムードをより強く感じるようになった記憶だ。
ここに「新発売」とされるパンフレットからの画像をご紹介するのでご堪能頂きたい。
さて、登場の昭和43(1968)年はGNPが世界第2位になった年。
戦後の貧乏暮らしが嘘のようだが、その時代を支えてくれた両親に感謝してもし切れない思いだ。
ところで、今もお世話になっている世界初の市販品レトルトカレー「ボンカレー」誕生の年でもある。
(敬称略)
[2022-3]