PRINCE MILER/LIGHT MILER

PRINCE MILER』は、昭和32(1957)年に「PRINCE TRUCK」の後継車として発売される。

メーカーは富士精密[昭和36(1961)年プリンス自工となり、昭和41(1966)年、日産に吸収合併された]で、先進技術が売りの高級志向だった。

歴史をたどれば、立川飛行機と中島飛行機からの発生だ。

立川からの東京電気自動車[後に多摩電気自動車、たま自動車(ここからガソリン車に移行)、(旧)プリンス自工となる]は戦後のガソリン統制のため、現代とは目的が違うが、なんと電気自動車(モーターとコントローラーが日立製、バッテリーは湯浅製)の著名なメーカーだった。

他方、中島から発生の(旧)富士精密がエンジンメーカーで、この2社の合併で富士精密となった。

昭和40(1965)年にプリンス自販が発行した「プリンスのあゆみ」の[「マイラー」発表]の項に[九月、スカイラインの好調なスタートを追うように、シンクロメッシュ、リモートコントロール、三人乗り、一七五〇キログラム積みトラック「プリンスマイラー」が発表になった。(AOTH-1)。

マイラーとは、一マイル競走馬のことで、スマート、スピード、スタミナと三拍子そろった動感あふれる語感が、流れるような、そして力強いタッチの車体にピッタリといえるもので、発表と同時に多くの人に支持を得た車の一つだ。]と記載されている。

初代(AOTH-1)発売のおよそ半年後、昭和33(1958)年には法規改正により荷台を伸長し、「NEW MILER」(ARTH-1)として

登場する。

さらに翌昭和34(1959)年から昭和35(1960)年にかけてのMCで70馬力にパワーアップ、「ハイポイドギヤ」に変更、FLなどを行った。

そして、(1961)年以降の「SUPER MILER」に発展していくこととなる。

これについては別途ご紹介する。

一方、『LIGHT MILER』は昭和34(1959)年に

1.25トン積みで登場し、「NEW MILER」とのボンネットトラックコンビを構築した。

尚、「LIGHT MILER」についても昭和34(1959)年から昭和35(1960)年にかけてと昭和37(1962)年から昭和38(1963)年にかけてのMCで進化する。

これについても別途ご紹介する。

さて、ここに昭和35(1960)年のMCの際に発行されたと思われるコンビ・カタログからの懐かしい画像をご紹介するので、お楽しみ頂きたい。

エンジンは「GA4型」水冷直列4気筒頭上弁式1.5L(70ps/4800rpm、11.5km-m/3600rpm)を搭載した。その他、機構的な特徴や特殊車ラインナップなどはカタログから読み取って頂きたい。後年、極端な技術重視やバランスを欠く車種構成などが結果的に経営不振を招いたようだが、先進的で技術力のあるメーカーが消滅したことは残念の極みだ。     

(敬称略)

[2022-4]

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