CHERRY COUPE[1st]

日本の誇る国花「さくら」。

[小生のSNAPより]

日本列島は、北から南西方向に細長い。だから「さくら前線」なるものが存在するのだが、気象庁HPの報道発表資料から「さくらの満開状況」のデータを見ると、観測地点ごとの満開平年日がわかる。

最も早いのは名瀬の1月30日、最も遅いのが根室の5月25日で4ヶ月にも亘っているが、多くの地点(北海道、青森、名瀬、沖縄以外)で満開が4月となっている。

ということでその「さくら」が名の由来となった「CHERRY」、中でも人気の高かった『CHERRY COUPE』の初代をご紹介する。

「CHERRY」のデビューは、発売前からのティーザー(じらし)広告

[朝日新聞 昭和45年(1970年) 7月25日(全面広告)より]

や独特の販売形態(5大都市にディストリビューター店を置き、そのそれぞれに地域販売会社を配置)など、大掛かりなものだった。

発売は昭和45(1970)年。高級車志向だった合併前の「プリンス」が目論んだ大衆車計画が元だったと聞く。

セミファストバックのボディに「サニー」で実績のあった「A10」、「A12」型ベースのエンジンを横置きした日産初のFF車で、「HSS」ハイスピードサスペンション装備の4輪独立だった。

初代カタログからのセダン「GL」。

独特なサイドウインドウは「つぶらな“瞳”」をイメージしたという「アイライン・ウインドウ」が個性的で、FFの優位性を生かした広い室内空間を誇り、キャッチフレーズは「超えてるクルマ」だった。

カタログに

「…「超」という字をキャチフレーズにひっさげて、日産から新しい車が登場したそうだ。果たして、どんな「超」なのか、どんな風に「超えている」のか、心ときめくことである。」と、している。

バリエーションはA10型1000cc58ps/6000rpmの2、4ドアセダン「GL」「DELUXE」「SEMI-DX」「STANDARD」と3ドアバン、A12型1200cc「SUツインキャブ」装着80ps/6400rpmの「X-1」。

また、「オプションパル」と称するオプショナル・キットが4種用意されていた。

そして翌昭和46(1971)年、「日本初のプレーンバックスタイル」の『COUPE』が誕生する。

ここに、誕生の頃のカタログからの画像をご紹介する。

その後、昭和47‐8(1972‐3)年にかけてマイナーチェンジとバリエーション追加を重ねる。

中でも、スポーツタイプの「X-1」に追加された「R」はオーバーフェンダーとラジアル・タイヤ、大型ディスクのブレーキ装備など本格スポーツ仕様だった。

尚、「R」については別途ご紹介する。

そして昭和49(1974)年、来たるべく50年排出ガス規制対応を睨んでボディ、エンジン(1200、1400㏄に)共にサイズアップされた、よりファミリーカーに徹したとされる2代目に引き継がれて行く。

さて、誕生の昭和46(1971)年は、環境庁発足の年。

TVでは「8時だヨ!全員集合」の視聴率が50%を記録した年でもあった。

一方、マクドナルドの日本1号店が銀座にオープンしたのもこの年。懐かしいことばかりだ。

小生の場合は、『COUPE』が登場してから益々興味が沸いてきた記憶だ。

(敬称略)

[2022-4]

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