GALANT GTO

誕生石。

男性にはあまり興味がないかも知れないが、女性にとっては大事なことの様だ。

特に4月のそれは「ダイヤモンド」。恋人や夫から指輪やペンダントなどをものにする?…いや、失礼。最近の女性なら男など当てにしないで自分でさっさとお買い上げ?かな。

さて、「ダイヤモンド」とくれば菱型の三菱マーク、スリーダイヤ。ちなみに三菱自動車グループの「浦和レッドダイヤモンズ」の名の由来でもある。

そこで今回は、三菱の人気車『GALANT GT0』をご紹介することにする。「三菱500」の後を受けた「COLT」シリーズに加えられた「GALANT」。

比較的地味な従来からの「COLT」とは大きく変貌したウェッジシェイプで昭和44(1969)年秋の東京モーターショーに登場したのがその「GALANT」だ。

セダンはその年に発売され、「GTX‐1」として展示されたクーペは、翌昭和45(1970)年に『GALANT GT0』として発売されることとなる。

「GT0」の名はイタリア語で「本当のグランツーリスモ(GT)」という意味の命名である。

「ファストバック」でわが国初の「ダックテール」、文字通り「アヒルの尾」の様なスタイルだがスッキリまとめられ、空力的にも優れものだった。

この年からのパートナーだったクライスラー社の影響からか、名実共にアメリカ発のスペシャリティカーブームにのった鮮やかなデビューだった。アメリカ好きの小生も大好きなくるまだ。

「MⅠ」、「MⅡ」、「MR」の3タイプでエンジンは全て1.6L。

「MⅠ」はS0HCシングルキャブ仕様100ps、「MⅡ」は同SUツインで110ps。「MR」にいたってはD0HCソレックスツイン装着の125ps搭載で最高時速200km/hとされた。

昭和47(1972)年には競合対策として「半球型最小表面積のMS(Minimum Surface)タイプ燃焼室」を備えた「SATURN」1.7Lエンジン搭載の『17X』シリーズ、「XⅠ」、「XⅡ」を加える。「XⅠ」はシングルキャブ、レギュラーガソリン仕様105ps、「XⅡ」はツインキャブ、レギュラーガソリン仕様の110psと同プレミアムガソリン仕様の115psが、更に、同じく115psの「XⅡ automatic」も設定された。翌昭和48(1973)年にはサイズアップとバリエーションの大幅変更を行い、「MR」を「GSR」に変更した。

「GSR」はS0HC 2.0Lの「ASTORON」エンジンを搭載、125psを引き継ぎ、185/70HR13ラジアルタイヤを標準装備しオーバーフェンダーを装着した。

そして、その後も進化する「GALANT」の人気車種として70年代後半まで続いていく。

ところで、発売の昭和45(1970)年は大阪で万国博覧会(EXP0 ‘70)が開催された年。

国税庁発表の高額所得者上位は地主さんが独占という時代だった。「よど号」ハイジャック事件や陸上自衛隊東部方面総監部での三島由紀夫の割腹自殺などが世間を騒がせた。

また、くるまにとっては耳の痛い話だが、浅草、池袋、銀座、新宿など東京の繁華街で「歩行者天国」が始まったり、これまた東京で初めての自動車排ガス一斉点検がおこなわれたり。

レコード大賞は菅原洋一の「今日でお別れ」、私にはこの歌詞も耳の痛いところだ。

一方、女性誌「an・an」が創刊。

女子テニスの伊達公子がこの年の生まれだそうだ。女性の活躍が目立ってくる。                   

ここで、昭和47(1972)年発行と思われる『17X』シリーズカタログからの画像をご紹介する。

冒頭に「たくましい変身です。」とあり、

更に「ハンドルを握る。その瞬間、まるで航空機とまがうコクピットが、まのあたりに飛び込む。」とある通り、絶妙なカーブが魅力的だった。

そして「その走る姿脱兎のごとし。’ゆとり‘の真髄まさにここに。エアロダイナミックスを駆使した現代機能美のきわめつけです。」としている。

「XⅡ」の透視図を描いたページには「この微にいたる新メカニズムの一体化。そこにこそ、あの独特のGT0フィーリングが発散されるゆえんです。」とあり、思わず見とれてしまう。

「三菱技術の錬磨の結晶です。」…の自信あふれる表現も。

その後の国産クーペデザインにもたらした功績は大きいと思う。

鮮やかだ‼

(敬称略)

[2021‐8改]

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