TOYOTA PUBLICA(UP10)

 野菜については全くの素人だが、私も含めた団塊世代を中心とする中年男性は「野菜を摂れ」…とよく言われる。酒を飲んだり肉を食べる時などにはなおさらだろうと思うが如何だろうか?

…で、突然だが、原産地が中南米当たりの「パプリカ」という野菜があるのをご存知の事だろう。赤や黄などのカラフルなピーマンのようなあれだ。その「パプリカ」と車名を勘違いされたこともあったと聞いた記憶がある。それが今回ご紹介する初代『パブリカ』だ。

昭和30(1955)年出現の国民車構想をきっかけとして6年以上もの開発期間をかけて昭和36(1961)年に誕生した。カタログには「乗用車をみんなのものに…という、トヨタ自動車創業のねがいを実現した車、それがパブリカです。」とある。また、「発売前の研究期間だけでも6年以上。性能の完ペキを期して、走行テストだけで実に100万キロ(地球を25周)に達しています」との表現もある。

車名は公募で決められた。「107万余通の応募作のなかから車名を<パブリカ>と決定。」とある。パブリックとカーを組み合せた造語である。

4人乗り。エンジンは空冷2気筒水平対向式の697cc28ps。徹底した軽量化により車両重量は580kg。ハイウェイドライブに向けさいこうそくど110km/hの高性能を実現した。

さらに、「接地面積の大きい超低圧タイヤ」と「中型車クラスの大きなブレーキ装置」を装備するなど安全性にも配慮されていた。また、24km/lの低燃費で、経済性にも優れていた。

発売後の約3年で20万台以上という勢いでモータリゼーションの先駆けとなったと言われる。

しかしながら、特に基本型(デラックスを登場させてからはスタンダードと称した)はコストにこだわり過ぎたためか、当時、大衆化とともに高まりつつあった高級志向への波に乗れず販売は伸びなかった。

ところで、誕生の昭和36(1961)年といえば、私の数ある??カラオケナンバーの一つであるフランク永井のヒット曲「君恋し」がレコード大賞に輝いた年である。魅力的なあの声が聞けなくなって本当に寂しい。そして、九ちゃんの「上を向いて歩こう」の大ヒットもこの年だ。また、飲酒運転による事故が大きく報道されているが、「酔っぱらい取締法」が成立したのもこの年だと聞いて気を引き締めているところだ。

さて、初代のカタログからの写真をお楽しみ頂きたい。

中にトランクのスペースを「ゴルフ・バッグがラクに3組もはいります。」と表現しているが、実は(たまたま?)この誕生の年に「女子プロゴルフ協会」が設立されたことを知った。

フェンダーミラーが「選べるアクセサリー」となっているのが、まさにコスト追及の証のようでもある。

最後に、このくるまの発売に向けて展開された「パブリカ店」(後のカローラ店、ネッツ店)が、現在のディーラーの基礎となったことやモータリゼーションの先駆けとなったことなどを考えると『パブリカ』の遺した功績は大きかったと感謝しきりである。

(敬称略)

 

[2018‐8改]

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