DAIHATSU FELLOWMAX

 このブログでは本来「DAIHATSU FELLOW [2nd]」とするところだが、サブネームの『MAX』がついているので独立させた。

 「FELLOW」の初代は、昭和41(1966)年「スーパーデラックス」と「デラックス」の2グレードで発売され翌昭和42(1967)年に「スタンダード」を追加。同年秋にはグリルの縦線を除き腰高感を払拭するための変更などのマイナーチェンジ。

 昭和43(1968)年には本格的軽スポーツ車の先駆けとなった「SS」を登場させる。

 ツインキャブ32psエンジンを搭載し、最高速度は115km/hの高性能を誇った。さらに昭和44(1969)年、「SS」以外のグレードをパワーアップ。20kgの軽量化で最高速度を110km/hとした。

そして、昭和45(1970)年に『MAX』が発売された。初代との比較でスポーティなイメージを感じた。

 発売の年に発行されたカタログ冒頭に「MAXは、もっともすぐれたものの代名詞。この名が、この車のすべてを語ります。」とし、「Total Effect System – すべてに最高をめざした理想設計から誕生」として「ロングノーズ&カムテールのスタイルとFF方式を中心に、数多くの技術が見事に生きています。軽初の水冷横置きエンジンやチルトハンドルなどのハイメカニズムと装備、軽最大の広さを誇る快適な室内、驚くべき耐久性、米国基準までも考慮した安全対策、徹底した公害対策・・・すべてが有機的につながり、大きな相乗効果を生んでいます。今までの軽ではとうてい考えられないほど、すみずみまで最高、すべてがMAXです。」と説明している。

  ここにそのカタログからの画像をご紹介するのでファッションなども含め詳細にご覧頂ければと思います。

 発売の昭和45(1970)年のレコード大賞は菅原洋一の「今日でお別れ」が受賞、小生の18番にもなった。

 「日本万国博覧会」が開催され「ケンタッキーフライドチキン」が実験店を出店、その秋に日本第1号店を名古屋に開店している。

日立製作所が「LSI」を開発した年でもある。大いに懐かしい。

(敬称略) [2019-5]

DAIHATSU FELLOWMAX” に対して1件のコメントがあります。

  1. sukezaemon より:

    「今日でお別れ」18番ですか?
    もちろん作曲は誰か知っていますよね。
    車に関係なかったよね。

  2. ぼんず より:

    18で免許取って、初めての愛車がこれでした、9年落ちのこいつをダイハツのデイーラーの知人からタダで頂いた。ただといっても、母が乗って来てくれた整備士さんに帰りの交通費3千円渡したようです。
    ボンネットを艶消しの黒に塗って、物置にあったフォグランプ付けたり、解体屋でもらって来たシートに換えたり、高3夏はこれで色々遊びに行きました、1年で車検だったので手放しましたが、写真もとらず残念です

  3. satoshi より:

    私が最初に乗ったクルマが、このフェローマックスの3ドア。色は確かクリーム色だったと思う。親が乗っていたのを譲り受け、大学の通学に使っていました。
    とても懐かしく思い出のあるクルマです。

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