CONTESSA
パリ・ダカールラリーにレンジャー(愛称:リトルモンスター)でカミオン(仏語=トラック)部門に参戦し好成績をあげているのが日野自動車であることは、ラリーファンならずとも知る人は多い。
いすゞと起源を同じくするためなのか、両社とも老舗大型メーカーながら、戦後、外国車のノックダウンによる乗用車製造に着手して国産化を成し、そこで得た技術で独自の人気乗用車を誕生させたあたりも似通った歴史を持つ。それが今回ご紹介する『コンテッサ』である。
誕生は昭和36(1961)年。前述の通り昭和28(1953)年に「ルノー4CV」のノックダウンを開始、4年後の昭和32(1957)年にはほぼ国産化を達成、そこで得た技術と経験からつくりあげた力作である。
コンテッサとはイタリア語で「伯爵夫人」の意味だ。初代は「ルノー」での経験を活かし、カタログにも「軽快で安定した乗心地を最大目的として新設計された5人乗り乗用車です」と記されている。エンジンは「頭上弁・水冷直列4シリンダ 893cc 35ps」を搭載、独自のRRだった。
ところで誕生のこの年に交通戦争、交通事故多発などの活字が新聞をにぎわすようになったのもモータリゼーション拡大の証なのだろう。東京の主要な交差点が右折禁止になった年でもある。
また、まったく違うおもむきの話題を一つ…。この年に発表された離婚白書によると20代と30代が80%近くを占め、50代は8%と少なかったようだが、昨今は熟年離婚が多いと聞く。団塊世代のお父さん達が定年を過ぎてどんなことになるのか?他人事ではないですよ、皆さん!!
伯爵夫人には関係ない?ことかも知れないが、これに関しては女性が強くなった(失礼!!)ことも大きな要因だろう。実はアンネ(ナプキン)の登場もこの年。多くの女性に喝さいを浴び、活動的な女性が増えたことも遠因かも知れないが、男の私には計り知れない。三種の神器による家事効率化の賜物でもあろうか?…いや、それともおとこがよわくなったのか…。
さて、話題を元に戻そう。
写真は、誕生の翌年、昭和37(1962)年に発行されたカタログからのもの。リヤデザインやRR機構などゆっくりお楽しみ頂きたい。
中に…家族のスナップに「くわえタバコ」のお父さん…
現代では考えられない光景もあり、前述のような時代
背景が見えてくる。
さて、このカタログ発行の昭和37(1962)年、トリノショーに巨匠「ミケロティ」による試作スポーツ、スプリントを発表。翌年の東京モーターショ-にも登場し好評を得た。そして、昭和38(1963)年には新設計のヘッドを採用し足回りを硬化させた『S』が誕生した。
ちなみに、いずれご紹介する2代目は「ミケロティ」のデザインだった。
(敬称略)[2018‐7改]
はじめまして。
小林旭の自動車ショー歌に沢山出てる車!
楽しめました。