ISUZU BELLEL

平成最後の正月を迎え、西暦では2019年になった。

日本人はとかく「4」と「9」を嫌う向きがあるが、ものは考えようで「4は喜ぶだ」とさかんに言っていた親父を想い出す。では「9」はどうかな!?と思う時苦しむことなく読売巨人軍の「V9」といった忘れられない素晴らしい記録もあるから何事も前向きに考えたいものだ。

そこで今回は、その読売巨人軍の現終身名誉監督で当時のミスタージャイアンツ長嶋茂雄と人気女優星由里子をCMに起用したいすゞの『ベレル』をご紹介する。

「ヒルマン」を国産化し、乗用車製造技術を習得したいすゞが独自に開発した「6人乗り新高級乗用車」だった。昭和36(1961)年秋に発表、その年の全日本自動車ショーに出品され翌昭和37(1962)年春に発売された。落ち着いた感じの直線的なデザインのボデーに特徴的な三角テールランプ、エンジンは改定後小型車枠いっぱいのガソリン「GL201型」水冷4サイクル直列頭上弁式2000cc85psと「GL150型」同1500cc72ps。

グレードとしては「2000デラックス」と「スタンダード2000/1500」。

ここからが両グレードの発売時のカタログからの画像だ。

そして、いすゞの得意としたディーゼル「DL201型」水冷4サイクル直列予燃焼室式2000cc55psと共に登場した。中でも「ディーゼル」は量産乗用車としては国産初で、「37年度機械学会賞」を受賞した。

いすゞの社名の由来でもある五十鈴川。五十はローマ数字でエル、鈴のベルにそのエルを合成し、『ベレル』と命名されたという。

発売半年後にはツインキャブ95psを誇る「2000スペシャルデラックス」、更に翌年には「2000ディーゼル・スペシャルデラックス」を追加した。昭和40(1965)年にはヘッドライトを縦型4灯式に、特徴的だった三角テールランプを横長のコンビネーションランプに変更するなど

大幅にチェンジした。

発表の昭和36(1961)年、好景気の中でレジャーブームが到来。相撲は柏鵬時代幕開けの年。最近、人気の稀勢の里が引退し、外国人が占めていて少々複雑な思いもあるが…。アメリカではJ・Fケネディが大統領に就任し、所得倍増計画を打ち出した首相池田勇人が訪米している。一方で、アンネナプキンやシームレスストッキング、女性雑誌「ミセス」創刊など女性活躍の時代が到来しつつあった。何故か、最近は「草食系男子」なるものが取りざたされているが、頑張れ男の子!!

最後に、意気込みに反して残念だったのは、「いすゞ50年史」にも謳われているが、トラックメーカーによる未経験の独自乗用車設計だった事や、量産に備えての藤沢工場立ち上げ時期のドタバタが重なった事などで大いに苦戦、更に、市場で「LPG」車が開発されディーゼル車で高めたタクシー需要を奪われるなど苦しい一生を終えた事だ。

いずれご紹介する『ベレット』に期待していただきたい。

(敬称略)[2019‐1改]

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