MAZDA CAROL
「多くの日本人は、正月は神社で神様。最近の結婚式はホテルでも教会。葬式はお寺で仏様。クリスマスも楽しんで…といった具合で、何でも信じる面白い人種だ。」
むろん、真面目に宗教を論じているわけではない。いつの頃のどなたの話だったか全く記憶はないが、確かラジオ?から聞こえてきて印象深かったので、話の筋だけが頭に残っている。
…で、12月となればその楽しいクリスマス。そう、今年は平成最後のクリスマスでもある。
そして、クリスマスと言えばクリスマス・キャロルを連想する方も多いだろう。
そこで今回は『CAROL』を取り上げることにした。
「キャロル」とは英語で「喜びの歌」などを意味する単語だが、そのイメージからの命名だ。
一方、このクルマに関する忘れられない想い出は、当時の軽自動車でありながら総アルミ合金のダイカスト製水冷直列4気筒エンジンを搭載するなど本格的なものだった割には比較的安く入手出来て勉強用にうってつけだったから大方財政難?の大学の自動車部などに人気なのだと聞いたことだ。
ところで、マツダの自動車製造の歴史は、個人経営のコルク栓メーカーを会社組織とし東洋コルク工業にした際に機械事業の松田重次郎が加わり、多角化を目指して東洋工業としたのが始まりの異色なメーカーである。
そして、三輪車開発を手掛けた松田恒次との松田父子の悲願だった乗用車製造。昭和35(1960)年誕生の「R360クーペ」で実現させ、翌昭和36(1961)年にはNSUバンケル社とロータリーエンジンで技術提携したことは広く知られている。
「R360クーペ」は高性能ながら30万円の安価で発売され、いわゆる国民車開発競争に一石を投じた。しかし2+2だったため4人乗りを開発することとなる。そしてキャロルが誕生する。昭和37(1962)年のことだ。
前述の通り、エンジンは総アルミ合金のダイカスト製水冷直列4気筒4サイクルO・H・V。358cc18psで「白いエンジン」と呼ばれた。リヤウインドウをクリフカット(英国フォード・アングリアを手本にしたと聞く)にした特長あるデザインの本格的なデラックス軽乗用車だ。
さて、誕生の昭和37(1962)年は、重大事故の多かった東海道で、初の本格的な交通取り締まりが行われた年だ。自動車ファンとしては取り締まりなど不要な世界にしたいものだと本心考える。この年の流行語として「マイカー時代」は嬉しいが、交通戦争が同居しているのがなんとも悲しい。今後とも安全運転でいこう!!
また、スポーツ界ではジャック・ニクラウスがプロとして全米オープンで初勝利している。芸能界では、園まり、中尾ミエ、伊東ゆかりの三人娘が売り出した。
マリリンモンローが亡くなった年でもある。
さて、写真は誕生の頃の発行と思われるカタログからのもの。
「快適で すばらしいくるまのある生活―その楽しさを歌って〈喜びの歌=キャロル〉と名付けました」とある。
横置きエンジンのRRで、リヤウインドウのクリフカットによる室内スペースの確保で「大人がゆったり4人乗り」を強調している。
広い視野を表現した写真に写る空港の旅客機が4発のプロペラ機なのが時代を物語っている。
リヤのサイドウインドウがはずせるのも特長だ。
また、乗り心地や走行安定性はもちろん
「画期的な軽合金の水冷4気筒エンジン」
「剛性の高い5軸受けクランクシャフト」「2連式キャブレター」なども謳っている。
以下、安全機構、オプショナル部品なども含め、是非、当時を回想しながらお楽しみ頂きたい。
(敬称略)[2018-12改]