日野コンマース
「わが国初のワンボックスカー」とされるこのくるま、昭和35(1960)年に登場した。
およそ65年も前のくるまとは思えない。
とても先進的なくるまだった。
自動車ガイドブックには、
[第8回全日本自動車ショー記念出版 自動車ガイドブック vol.8]より
「乗用車の機構を充分に生かして新設計されたコマーシャルカーです。」とされた。
小学生だった小生は、既に、乗用車に限らず自動車全般に目を凝らしていたから、乗用車(スリーボックス)とは違いトゥーボックスでもなく、発想は先進的だと思ったった記憶だ。
日野自工に於けるルノーではない小型車という意味で興味を持っていたが、残念ながらカタログは所有していないので、またまた「三木書房」のお世話になる。
[三樹書房刊「日本のトラック・バス(1917~1975)」]より
車名の由来はコマーシャル(=商業)からだが、カタログには「用途の広い万能車」とされていた。
彼女のファッション、特にスカーフ姿とサイドミラーが時代を感じさせるが如何だろうか。
登場の昭和35(1960)年、前半は岸信介、後半は池田勇人が首相だった。
皇室初の病院出産で、現天皇である徳仁陛下が誕生したのもこの年。
また、前年に設立された首都高速道路公団が道路整備を本格始動した年。
芸能界では石原裕次郎が結婚。
第2回レコード大賞を「誰よりも君を愛す」(松尾和子/和田弘とマヒナスターズ)が受賞した。
「月の法善寺横丁」(藤島桓夫)も大ヒットした。
ませていた小生もよく歌った。
今の様にカラオケが盛んだったらもっと楽しかっただろう。
(敬称略)
[2024-8]