HONDA CIVIC [1st]

ホンダは四輪車メーカーとしては最後発だが、同時に本田宗一郎にとって許しがたい理不尽な国策への対抗策でもあった。

昭和38(1963)年、2車種を発売した。

そのずっと後(詳細記憶していないが、発売から50年くらい?)にホンダが発行した「HONDA magazine」の中に、「挑戦する心 はじまりは、軽トラックとスポーツカー。」と題するコラムを目にした。

『「生活のお役に立つ」軽トラック。「走りを楽しむ」スポーツカー。「人々のお役に立ちたい」という想いと「走りの楽しさを味わいたい」という想い。そんな2台のクルマを同年に発売。それが、ホンダの原点であり、今も昔も変わらない想いがここにあります。』と記されていた。

あくまでも小生の感想だが、最初がDOHC搭載のトラックで、直後にはスポーツカーという実にホンダらしい、いや、本田宗一郎らしい‼ものだった。

その後N360と1300が登場するが、いずれも本田宗一郎のこだわりのくるまだった。

しかし、ヒットしたはずのN360が欠陥車に転落、1300は売れない。

そんな厳しい状況下に、今回取り上げる『CIVIC』の開発プロジェクトがスタートしたと聞く。

開発メンバーの気持ちを小生の独断で非常にわかり易く説明すれば、『創業者でカリスマ経営者だった本田宗一郎は無くてはならないが、その「こだわりのくるまづくりの発想」には嫌気がさしていた』ということの様で、開発コンセプトは「世界のベーシックカーとして、軽量、コンパクトでキビキビ走れるもの」、「ユーティリティー・ミニマム(最も効率の良いサイズ、性能、経済性)」だったと後で知った。

昭和47(1972)年7月に「2DOOR」車として発売された。

台形の5㎡カーで、エンジンは「無公害に積極的に挑む新機構を備えた」とされる1169cc水冷直列4気筒横置OHC60PS/5500rpm9.5kg-m/3000rpmが搭載された。

そして2か月後に「3DOOR」車と69PS/5500rpm10.2kg-m/4000rpm搭載の「GL」が発売された。

その後の進化については別途ご紹介することにして、登場翌月の発行と思われるカタログからの画像をご紹介するのでご覧頂きたい。

[いかにもヨーロッパらしい風景だ]

[当時は海外渡航したことがなかったが、のちにスイスに行った際にこのカタログの情景を想い出し、「実に合う‼」と思ったものだ。]

[営業マンかフロントマンのものと思われる書き込みがある。]

発売の年に乗せてもらった記憶だが、乗り心地が良かったと感じた覚えがある。

さて、発売の昭和47(1972)年は佐藤・ニクソン会談で沖縄返還が5月に決まった旨の共同声明が発表された年。

第11回冬季オリンピックが札幌で開幕された年でもあった。

他方、通産相だった田中角栄が「日本列島改造論」を発表した年でもあった。

半世紀(50年)も前のことだ。

きしくも昨年11月開催の「太平洋マスターズ」は50周年大会だった。

(敬称略)

[2023-1]

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