MAZDA T600

今年101周年を迎えた「MAZDA」。

個人経営のコルク栓メーカーを会社組織とし、大正9(1920)年に「東洋コルク工業(株)」として創立された。

機械事業の松田重次郎が加わり、翌大正10(1921)年に社長に就任する。

多角化を目指して昭和2(1927)年に

「東洋工業(株)」としたのが始まりの異色なメーカーであるが、今回、特に3輪車を中心にその後の流れをたどると

昭和6(1931)年には同社初の3輪トラック「マツダ号DA型」

[My SKETCHBOOKより]

の生産を開始する。

その後、昭和7(1932)年からバリエーション追加しながら、フロントウインドーが付き屋根が付きドアが付くなど進化し、昭和34(1959)年には軽3輪トラック「K360」を発売、翌月、これをバージョンアップした小型3輪トラック『T600』を発売する。

小生の感想だが、小型の中で、「小粒ながらピリッと…」という印象だった。

カタログの冒頭には「ゆったり積める小型車」、「気らくに乗れる経済車」と表現されている。

エンジンは強制空冷頭上弁式76°V-2の577cc20ps/4300r.p.m.3.8m-kg/3000r.p.m.で、

トランスミッションは常時嚙合選択式前進3段後進1段。

最小回転半径は3.6mで乗車定員2名、最大積載量は500kg、最高速度は75km/hだった。

翌昭和35(1960)年に全長、全幅、WBを延長しフロントバンパーを追加、リアにブリスター・フェンダーを採用、「ライトバン」と「トランク型」を追加した。

ここにそのカタログからの懐かしい画像をご覧いただ

く。

そして昭和37(1962)年にはドアウインドーを引き違い式から上下スライド式に変更。

昭和39(1964)年、さらに全長を3300mmに延長、キャビン・ルーフを幌からスチールに変更して昭和44(1969)年まで製造された。

さて、発売の昭和34(1959)年は安保闘争始まりの年。

また、どちらも週刊の「少年サンデー」、「少年マガジン」が創刊された。

「ポパイ」のアニメ放映がKRテレビ(現TBS)でスタートした年でもあった。

毎週楽しみで、小生がホウレンソウ大好き人間になったゆえん‼でも。

(敬称略)

[2021-10]

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