DATSUN BLUEBIRD [3rd]
昭和6(1931)年からの長い歴史の「DATSUN」だが、戦後、日産が将来を見据えた新型の開発に着手、昭和30(1955)年に現代につながる[110型]を開発する。
エンジンは[DS‐6]から継承された「D10型」直列4気筒サイドバルブの860cc25psだったが、ボデーと耐久性を大幅に向上させた。
さらに昭和32(1957)年、新鋭「C型」4サイクル水冷頭上弁式直列4気筒1000cc34psエンジンを搭載しさらなる改良を加えた
[210型]が登場する。
通称豪州ラリー「1958モービルガス・トライアル」に「富士号」・「桜号」の2台が参戦、1000cc以下「Aクラス」でそれぞれ優勝と4位を獲得した。これが「DATSUN」の名を世界に告げる足掛かりになった。
そして昭和34(1959)年、その後を受けてトラックベースからの脱却を果たした『DATSUN BLUEBIRD』の初代[310型]
が誕生、その後の日産の中核をなすことになる。
車名は、当時の社長であった川又克二による英国メーテルリンクの小説「幸福の青い鳥」にちなんでの命名だ。
それから4年後の昭和38(1963)年、2代目[410]
が登場する。
日産初のフルモノコック「新ユニットコンストラクションボデー」を採用。
4DOORSEDANと5DOORWAGONの2タイプ、エンジンは「E1型」1200cc55psと「C1型」1000cc45psの2タイプで15車種での登場だった。
時代にマッチした高速安定性耐久性、居住性向上、安全性などを重点に設計されたと聞く。
イタリアのピニンファリナによるデザインで欧州調のお洒落な感じだったが、第一印象が「HIP DOWN」‼…は記憶に新しい。
さらに、その後を受けて昭和42(1967)年に誕生したのが今回ご紹介する3代目[510]だ。
キャッチフレーズは「新しい時代の新しいセダン!」。
企画のポイントは「SUPER SONIC LINE」と「7つの機構」だったという。
「SUPER SONIC LINE」とは「強力なPOWERで大気を切り裂いて進む高速JET機のフォルムを受け継いだ“くさび”形のシャープなシルエット」で「7つの機構」とは「①三角窓のない新鮮なスタイル」②新設計「L13型」ENGINE③新ストラット型前輪独立懸架④新セミトレーリング型後輪独立懸架⑤カーブド・ドアガラス⑥新換気装置⑦安全設計」だとされた。
2代目[410]の丸みを帯びたスタイルから俄然シャープなスタイルになったというのが小生の直感だった。
新設計の「L13型」エンジンは「4サイクル水冷頭上弁OHC式(ガソリン)直列4気筒1296cc72ps/6000rpm10.5kgm/3600rpm」で「SUPER SONIC LINE」にふさわしい性能だった。
「スーパースポーツセダン」にはさらに高性能な「L16型」同「1595cc100ps/6000rpm13.5kgm/4000rpm」が搭載された。
ここで、誕生時発行のカタログからの画像をご紹介するのでご覧頂きたい。
[「シャレた大型の灰皿は、…」は、今や喫煙者には夢のような]
[ここにも灰皿…]
[「DATSUN」の文字が右のSPECIFICATIONSページの1つのみだったからこの代で終了か?
と思った記憶だが、6代目[910型]まで付いた]
誕生の昭和42(1967)年は、反対派座り込みの中で成田新空港の測量が開始された年。
JET機イメージの「SUPER SONIC LINE」に所以がありそうな…。
最後に自動車ファンとしては、当時の勢いのある日産が懐かしい。
頑張れ日産‼
(敬称略)
[2021-4]