BELLETT 1600GT…Ⅰ
現在はイメージではなく正にトラック・バスメーカーだが、昔からいすゞと言えばトラック・バスのイメージが強かった。
しかし、昭和21(1946)年に社長に就任した三宮吾郎の乗用車製造にかける思いは相当強いものだったと聞く。
昭和28(1953)年からの「ヒルマン」のノックダウンに始まり4年後には国産化を完了。
昭和36(1961)年には「BELLEL」を発表、その年、小型車総合専門工場としての藤沢工場第一期工事が完成、翌昭和37(1962)年に操業を開始した。
昭和38(1963)年には『BELLETT』を発表する。
当初は「ガソリン1500」と「ディーゼル1800」のセダン系2本立てでのスタートだったが、スポーティセダンの表現がぴったりで「Sports kit」も設定されていた。
更に、その年開催の第10回東京モーターショーに「1
500GT」を公開する。
そして翌昭和39(1964)年、わが国初の「GT」である『1600GT』を発表、マニアックな人気車種になっていった。
このくるまの為に新たに設計された「G160」型エンジン(高速型のショート・ストロークでアルミ合金製シリンダーヘッドにSU型ツインキャブ採用の最高出力88ps/5400rpm・最大トルク12.5kg/4200rpm)を搭載。
最高速度160km/h、SS 1/4マイル18.2秒の
高性能を誇った。
ここで発表2年後の昭和41(1966)年発行と思われるリーフレットからの画像をご紹介するのでご覧頂きたい。
その後の進化については別途ご紹介するのでご期待頂きたい。
ところで、登場の昭和39(1964)年には東京オリンピックが開催され、東海道新幹線や東京モノレールが開業、ホテルニューオータニが誕生するなどインフラの充実が図られた。
一方、「ワンカップ大関」や「かっぱえびせん」発売の年でもあった。
(敬称略)
[2019‐8]