TOYOTA MINIACE
「大は小を兼ねる」ということわざがあるが、くるまの場合はそういうことでもない。
車名の由来が『「ハイエース」に対して小型である』ということからも必要性が感じられる。
当初の「TRUCK」の発表を報じた「NEWS from TOYOTA」(当時のトヨタ自販発行)には
「パブリカですでに定評のある八OOccエンジンを搭載、低床式荷台を架装した定員二名のキャブオーバートラックである。
廉価、経済性のうえ高速性、安全性を重視した設計は、フラットで広い荷台とあいまって市街地や商店街での小口配達に最適である。」とされ、
「特徴」として、
「一、最小回転半径三・九メートルはこのクラス最小で、最高速一一〇キロと機動性は抜群である。
二、エンジンを床下に搭載したため、キャビンおよび荷台スペースはフルに活用でき長尺物でも積載可能である。
三、荷台は低床式のため荷物のつみおろしに便利なうえ、重心が低いために安定性にすぐれている。
四、曲面強化ガラス、セーフティパッド、防眩対策、大型ブレードの二スピードワイパーなど安全性への配慮もゆきとどいている。
五、ヒーター、ウオッシャーは標準装備で塗色は赤、白、青の三色が用意され、一、二、三、四、速オールシンクロメッシュである。」
としている。
「TRUCK」の全長3480mm全幅1380mmは、現行の軽トラック「HIJET TRUCK」の全長3395mm全幅1475mmと比較すると想像し易い。
昭和42(1967)年に「TRUCK」と「PANELVAN」が登場。
翌昭和43(1968)年に「VAN」が追加される。
さらに翌昭和44(1969)年には助手席のヘッドレストとシートベルトを標準装備するなどのMC。
「TRUCK」に「DELUX」を追加した。
そして昭和46(1971)年のMCでベンチレータースリットを廃止、ターンシグナルランプをクリアからアンバー(琥珀色)に変更した。
ここに、そのMC後の昭和49(1974)年発行の総合カタログからの画像をご紹介する。
発表の昭和42(1967)年は、反対派座り込みの中「成田新空港」の測量が開始された年。
ラジオでは、「オールナイトニッポン」や「JET STREAM」が放送開始した年だった。
記憶は鮮明だが、懐かしい。
(敬称略)
[2022‐3]