SUBARU LEONE [SEEC-T]
「SUBARU 1000」の実質的な後継車である初代「LEONE」は「1400COUPE」のみの4グレードで昭和46(1971)年に登場する。
翌昭和47(1972)年から昭和48(1973)年にかけ「1400/1100SEDAN」「ESTATE VAN 4WD」と「HARDTOP」追加や安全公害対策などのMCで「1100」を「1200」にサイズアップするなど進化する。
さらに昭和50(1975)年初め「50年排ガス規制」に備えてのMC。
秋には今回ご紹介の『LEONE SEEC-T』を発表、ボアUPの「1600シリーズ」を追加し「1200シリーズ」を廃止した。
エンジンは1000、1100、1300と踏襲されてきた「水平対向4気筒・水冷4サイクルOHV」の1600cc「EA71型」と1400cc「EA63型」を搭載。
1600cc「EA71型」はツインキャブ「95ps/6400rpm最大トルク12.3kgm/4000rpmとシングルキャブ「82ps/5600rpm最大トルク12.0kgm/3600rpm」の2タイプ、1400cc「EA63型」はシングルキャブのみの「72ps/6000rpm最大トルク10.2kgm/3600rpm」だった。
そして、昭和51(1976)年初めに「AT車」と「4WD SEDAN」を加えた。
ここで、昭和51(1976)年発行のカタログからの画像をご紹介するのでお楽しみ頂きたい。
ところで、その昭和50(1975)年は天皇皇后両陛下が初めて訪米した年。
第1回先進国首脳会議(サミット)が仏のランブイエ城で開催された年でもある。
山陽新幹線は岡山・博多間が開通し、エベレスト日本女子登山隊が世界女性初のエベレスト登頂を果たすなど明るいニュースもあった年。
歌謡界では、当時話題の銀行員シンガーソングライター小椋佳が作詞作曲した布施明の「シクラメンのかほり」がレコード大賞を受賞した。
大好きでよく歌った。
ハウス食品のCMで「ワタシつくる人 ボク食べる人」というのが好きだったが、男女差別と指摘され放送中止となった。
最後に…
富士重工の航空機製造技術を生かしたクルマ造り、わが国では特異な存在だ。
(敬称略)[2021-8]