TOYOPET CROWN[3rd]…Ⅰ
「TOYOTA」は戦後の本格的な乗用車製造を目指した時、外国車ノックダウンの道ではなく独自開発の道を選択した。
難関を乗り越え、初代「RS型」
《小生のSKETCH-BOOKからの初代「RS型」》
が誕生したのは開発開始から3年後の昭和30(1955)年だった。
豊田喜一郎死去の3年後でもある。
それから65年も経った現在でもトヨタを代表する車として君臨しているからすごい。
純国産と言われる初代の目指したところは、当時の日本の悪路との戦いに勝つこと。乗り心地が良く耐久性に優れたクルマにすることだった。
結果、当初の心配をよそにタクシー向けにも好評を得、同年、自家用向けの「デラックスRSD型」を設定する。
《昭和30(1955)年発行と思われるカタログから》
その後は、翌昭和31(1956)年以降からのパワーアップやマイナーチェンジの後「スタンダードRS20型」と「デラックスRS21型」を経て昭和35(1960)年には「1900デラックスRS31型」が登場。「トヨグライド」装着車も追加、昭和36(1961)年には「1900スタンダードRS30型」
《「TOYOPET CROWN 1900」カタログから》
を追加するなど大きく進化していく。
そして昭和37(1962)年、2代目「RS40系」
《発売時のカタログからの画像》
が誕生する。
初代と比べ「随分幅広く低くなって、アメ車の様だ」と感じたことを鮮明に憶えている。
発売時の「デラックス」のカタログ冒頭に「どこから見てもいままでの国産車の概念を大きく打ち破った最高級乗用車です。もちろんこの画期的なニュー・モデルには、1955年以来8年間、つねに最高の信頼をかちえてきたトヨペット・クラウンの輝かしい伝統と技術がうけつがれ、開花しています。」とあり、自信のほどを窺わせるものだった。
「デラックス」のエンジンは4気筒直列頭上弁式「4R型」1900cc90psが搭載された。
昭和40(1965)年には個人向けグレードを追加、3代目への布石だったのかも知れない。
また、新開発の6気筒SOHC「M型」[DX用105ps/S用125ps]エンジンを追加、新グレードの「S」も追加した。
翌年には最上級の「SUPER DELUXE」を加えた。
そして、いよいよ昭和42(1967)年に3代目が登場する。
ごく大雑把に言えば、「黒」イメージの社用中心から「白」イメージの個人向けを目指したものだった。
この販売戦略は成功して個人ユーザーの急速な増加につながったとされている。
当初のグレードは「SUPER DELUXE」「DELUXE」「OWNER DELUXE」「OWNER SPECIAL」「CROWN」「CROWN S」「CUSTOM」が設定され、エンジンは6気筒2L「M型」[100/105/110/125ps]の4タイプと4気筒2L「5R型」[93ps]の2機種5タイプで、トランスミッションが3/4MTと2/3ATの「WIDE SELECTION」だった。
フレームは従来の「X型」から「ペリメーター型」を採用した。
米国の安全基準のほとんどを網羅したとされる優れものだった。
ここに発売時のカタログからの画像をご紹介するのでお楽しみ頂きたい。
冒頭に「お待ちかねのニュークラウンです」とあり「●日本の美が脈うつざん新なスタイル●これ以上の安全対策をほどこした車は、いままでにありません。●あなたの第2の住まいとしてつくられた室内。長距離も快適そのものです●運転は2000ccクラスの車とは思えないほど、ラクで軽快です。●高速信頼性をぐんと向上しました。」としている。さらに「クラウン・オーナーデラックスを新発売」「高速長距離走行に強いニュークラウン」とまとめている。
トレーシングペーパーに目次は高級なイメージを醸している。
このあたりから「ハイオーナーカー」らしいページが展開される。
「S」にしてはおとなしい表現だと思ったものだ。
ここでは、従来の「X型」から「ペリメーター型」を採用したフレームを中心に「最新のメカニズム」を解説している。
その後、翌昭和43(1968)年には「オーナーカー」を目指すのにより相応しい「2DOOR HARDTOP」を発売、さらに翌昭和44(1969)年にMCと共に「SUPERDELUXE」を追加した。
「HARDTOP」については別途ご紹介する。
3代目登場の昭和42(1967)年は佐藤首相が現職首相として初めて韓国を訪問した年。
また、欧州共同体「EC」発足の年でもある。
一方、今年はCORONA禍での「東京オリンピック・パラリンピック大会」開催に向け突き進んでいるが、この年は「ユニバーシアード東京大会」が開催された。懐かしい‼
(敬称略)
[2021‐7]