CHERRY [1st]
日本列島は、北から南西方向に細長い。だから「さくら前線」なるものが存在するのだが、気象庁HPの報道発表資料から「さくらの満開状況」のデータを見ると、観測地点ごとの満開平年日がわかる。
最も早いのは名瀬の1月30日、最も遅いのが根室の5月25日で4ヶ月にも亘っているが、多くの地点(北海道、青森、名瀬、沖縄以外)で満開が4月となっている。
ということでその「さくら」が名の由来となった『チェリー』の初代をご紹介する。
誕生は昭和45(1970)年。高級車志向だった合併前の「プリンス」が目論んだ大衆車計画が元だったと聞く。
セミファストバックのボディに「サニー」で実績のあった「A10」、「A12」型ベースのエンジンを横置きした日産初のFF車で、「HSS」ハイスピードサスペンション装備の4輪独立だった。
FFの優位性を生かした広い室内空間を誇り、キャチフレーズは「超えてるクルマ」。
ティーザー(じらし)広告や独特の販売形態(5大都市にディストリビューター店を置き、そのそれぞれに地域販売会社を配置)など、大掛かりなデビューだった。
バリエーションはA10型1000cc58ps/6000rpmの2、4ドアセダン「GL」「DELUXE」「SEMI-DX」「STANDARD」と3ドアバン、A12型1200cc「SUツインキャブ」装着80ps/6400rpmの「X-1」。
また、「オプションパル」と称するオプショナル・キットが4種用意されていた。
ここに、デビュー当初のカタログからの画像をご紹介する。
「超えてるクルマ」のすべてを語る、初代カタログからのセダン「GL」。
表紙をめくると、国語辞典でおなじみ(当時)文学博士の
金田一春彦が寄せた[「超」字の賛]と題する文章があり、
「…「超」という字をキャチフレーズにひっさげて、日産から新しい車が登場したそうだ。果たして、どんな「超」なのか、どんな風に「超えている」のか、心ときめくことである。」と、まとめている。
独特なサイドウインドウは「つぶらな“瞳”」をイメージしたという「アイライン・ウインドウ」が個性的で、
車内から見るとこのような感じだった。
その後、翌昭和46(1971)年には「日本初のプレーンバックスタイル」の「クーペ」を追加、更に、昭和47‐8(1972‐3)年にかけてマイナーチェンジとバリエーション追加を重ねる。
中でも、スポーツタイプの「X-1」に追加された「R」はオーバーフェンダーとラジアル・タイヤ、大型ディスクのブレーキ装備など本格スポーツ仕様だった。
尚、「クーペ」、「R」については別途ご紹介する。
そして、昭和49(1974)年、来たるべく50年排出ガス規制対応を睨んでボディ、エンジン(1200、1400㏄に)共にサイズアップされた、よりファミリーカーに徹したとされる2代目に引き継がれて行く。
さて誕生の昭和45(1970)年は、政府がわが国の呼称を「ニッポン」に統一することを決めた年。
日本らしさにこだわったとされるこのくるまの車名を国花である「さくら」から命名したことと何かの縁を感じる。
また、マクドナルド日本第1号店が銀座に、ケンタッキー・フライド・チキンが名古屋にオープンした年でもある。
小生は、「クーペ」が登場してから興味が沸いてきた記憶だ。
(敬称略)
[2021-6]