COROLLA SPRINTER
コロナ渦で望むべくもない状況だが、人生には「ゆとり」が欲しいものだ。
経済的にも時間的にもそうありたいが、何よりも心のゆとりが前向きな生き方の基本であろう。
「ゆとり」の同義語は「余裕」ということになろうが、今回ご紹介の『COROLLA SPRINTER』のベースとなった初代「COROLLA」
のキャッチコピーが「プラス100ccの余裕」であったことを思い出す。
この初代「COROLLA」は昭和41(1966)年、「マイカー元年」と言われた年の発売で、ティーザー・アプローチ(発表前のじらし広告などの手法)を展開した。
また、様々な情報からの推測だが月産3万台まで拡大出来る規模(カタログ表記では、第一期工事で月産1.2万台規模)の専用工場を建設するなどの大胆だが周到に準備されたデビューだった。
水冷4気筒直列頭上弁式1100cc4気筒OHV60ps/6000rpm[K型]エンジン搭載の「2ドア」のみのスタートだったが、翌1967年(昭和42年)に「4ドア」と「2ドアVAN」を追加。
そして昭和43(1968)年のマイナーチェンジと共に多様化に対応してクーペタイプのスポーティな『COROLLA SPRINTER』を加えたという経緯だ。
最上級版として1100ccTWIN・CAB[K-B型]73ps/6600rpmエンジン搭載の「SL」を設定、スポーツ志向のユーザー層も取り込んだ。
ここに、昭和43(1968)年発行の「新発売」カタログからの画像をご紹介するのでご覧頂きたい。
〈情熱的な車〉とあってバラのイラストが印象的だ。
「スプリンターは〈情熱的な車〉新しい個性です」とまとめ「情熱的な若いスタイル」「情熱的なフィーリング」「情熱的な行動力」としている。
「〈ひと足お先に〉…余裕を生むヒミツ」とされたエンジン。
20度右傾斜したエンジンは自体の高さが低くなり、吸入効率も良い。
リアビューがきれいな「SL」のページ
「1100cc73馬力 驚異的な高性能!」としたエンジンと相まって、小生は、鮮やかな赤「ヘリオス・レッド」が大好きだった。
その後、昭和45(1970)年にモデルチェンジしたが、その時をもって「COROLLA」から離れ『SPRINTER』として独立した。
豊田佐吉の発想と長男喜一郎の具現化で誕生し僅か70年程で「世界のトヨタ」にまで昇りつめたその歴史の中から、今も脈々と受け継がれている「カローラ哲学」の成果は計り知れないと言う。
(敬称略)
[2021-5]