SUBARU LEONE 4WD
日本の気候は寒暖の差が大きいと言われるが、だからこそ四季の変化を堪能できるありがたさもあるわけだ。
春の桜も好きだし、スキーに行って見る雪景色も大好きだ。
一方で、雪と戦っている雪国の生活者、まして高齢化の進む山間部などを思うと複雑な気持ちだが…。
そこで今回は、雪国からの要請が発端となって誕生した世界初の量産4WD車をご紹介する。
通常はバン、降雪時はジープを使い分けていた東北電力が「これらの利点を一本化できないか」…と、当時の宮城スバルに要請したことから乗用車ベースの「スバル1000バン改造4WD」車が制作された。
月山でのテストに成功し、昭和46(1971)年富士重工に量産要請されたことから試作が始まり同年開催の東京モーターショーに「スバル1300Gバン4WD」が参考出品された。
そして翌昭和47(1972)年、前年にスタートしていたレオーネシリーズに加え『4WD ESTATEVAN』が発売される。それまで量産されていた4WD車がジープのみだったため、乗り心地やオープンボディゆえの問題点が解決されたことで注目されたが、当初はコンセプトが理解されにくい面もあって思いのほか販売が伸びなかった。
だが、4WD先進国だったアメリカで好評を得たことで国内販売も伸びてきたことから、昭和50(1975)年には『4WD SEDAN』が誕生した経緯だ。
1000、1100、1300と踏襲されてきた水平対向の1400ccEA63型(4気筒水冷4サイクルOHV)エンジンを搭載。77ps/6400rpm最大トルクは10.5kgm/3600rpmで、登坂能力tanθはESTATEVANが0.40、SEDANは0.48だった。「ラック&ピニオン式ステアリング」、独自の4輪独立懸架で、リヤ用のデフとドライブシャフトなどは当時提携先だった日産の「ブルーバード」の物を使ったと聞く。
最大の特徴だったのは乗用車の良さを持った4WD車だったこと。さらに「走行中でもFF⇄4輪駆動がワンタッチで切りかえられる、すぐれた操作性をもっています。」とカタログに謳われている通りの優れものだった。
ここに、「4WD SEDAN」発売の昭和50(1975)年に発行された4WDカタログからの画像をご紹介するが、このカタログが少々特徴的で「SEDANが左開き」、「ESTATEVANは右開き」の一体版になっている。
SEDAN側の冒頭には「新登場。世界で唯一の異色セダン。レオーネ<4WHEEL DRIVE>。」とあり、「操縦空間もカスタム・メイド。安全性、快適性、そして扱いやすさ。外に強靭、内に柔軟なつくりです。」とまとめている。
ルーツでもあるESTATEVAN側は「より、たくましく より、しなやかに。剛腕、レオーネ<4WD>エステートバン。」を掲げて、まとめを「活動範囲をグン!と拡げる この機能。この装備。この快適性。まさに万能ワーキング・エステート。」としている。
いずれも乗用車(ムード)の優しさと4WDの力強さを兼ね備えたところを強調している。
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ところで、その昭和50(1975)年は民間の冬のボーナスが戦後初のマイナスになるなど不況の年で、雇用情勢も悪化していた。
鉱工業生産は戦後最大の落ち込みを記録し、中元商戦も振るわないなど百貨店売り上げも不振だったが、一方、山陽新幹線は岡山・博多間が開通し、エベレスト日本女子登山隊が世界女性初のエベレスト登頂を果たすなど明るいニュースもあった年。
歌謡界では、当時話題の銀行員シンガーソングライター小倉桂が作詞作曲した布施明の「シクラメンのかほり」がレコード大賞を受賞し、岩崎宏美の「ロマンス」や野口五郎の「私鉄沿線」などがヒットした。
環境問題が叫ばれている現代だが、当時は、「50年排ガス規制車」が登場しても安い未対策車に人気があった‼とか…。
また、東京23区からの「プッシュホン新幹線指定席予約サービス」が開始されたが、スマホやネットが当たり前の今を考えると時代を感じさせる。
最後に…、
富士重工の航空機製造技術を生かしたクルマ造り、わが国では特異な存在だ。
(敬称略)[2020-9改]