FRONTE 800
北海道の中心、札幌駅近くに北海道庁旧庁舎が保存されている。
明治21(1888)年に建築され、明治42(1909)年の火災消失2年後に修復されたという。さらに昭和43(1968)年、保存のために復元改修されたものだが、歴史を感じさせる重厚な赤レンガ造りの国指定重要文化財である。そして、その敷地内には「開拓使札幌本庁舎跡」の碑があり、開拓使の本拠地があった場所であることが示されている。また、旧本庁舎内には開拓使資料などが展示されており、広大な原野の壮絶な開拓の歴史が見えてくる。
さらにサッポロファクトリーまで足を延ばすと、ここが明治9(1876)年に建築されたわが国初の本格的ビール醸造所とされる「北海道開拓使麦酒醸造所跡」である。明治25(1892)年に建てられたという赤レンガ造りの工場の一部が残されていて、ビールファンには見逃せない歴史遺産だ。ちなみに私は、自称「ビール缶コレクター」でもある。
ところで開拓使といえば、その計り知れない労苦が偲ばれるわけだが、そこで浮かんでくるのは「開拓者精神=フロンティア・スピリット」だ。「フロンテ」シリーズの名の由来でもある。
鈴木式織機の創業者で、転身したスズキ自動車工業の初代社長でもある鈴木道雄の乗用車開発に対する意気込みにも通じるものがあったのだろう。
昭和30(1955)年生産開始の「スズライト」に始まり「スズライトフロンテ」に変身していくところからの命名だ。そして、今回ご紹介する同社初の小型乗用車『フロンテ800』の誕生となる。
さて、新型車の市場投入の前年にプロトタイプをモーターショーに発表し、翌年発売するという手順を踏む場合が多いが、このクルマの場合は3年も前の昭和37(1962)年の第9回東京モーターショーに、いわばプロトタイプ第1弾を発表している。それは4ドアだったが、翌年のモーターショーに登場した際には2ドアになり、さらに、その翌年にも参考出品され、昭和40(1965)年にようやく発売された。慎重な姿勢が見えてくる。最大の特徴は2ストローク3気筒のエンジンだ。800cc41ps。4ストロークなら6気筒並みのスムーズさを引き出すことを狙ったと聞く。
そして、曲面ガラス採用のサイドウインドウも国産初。やわらかいヨーロッパ調のデザインだった。
ところで、発売の昭和40(1965)年はプロ野球第1回ドラフト会議が開催された年である。日本シリーズは巨人が制し、「V9」始まりの年でもあった。レコード大賞は美空ひばりの「柔」、古賀政男の名曲だ。
一方、北爆が開始された年でもある。
さて、カタログからの写真を楽しんでいただきたい。
機能的には、「自動潤滑装置セルミックス」が特徴的で機構的にも特徴あるクルマだったが、台数が伸びなかったのが少々残念だ。軽自動車に力を入れていたことも一因だったと聞くが、現在のスズキの軽自動車躍進の所以かも知れない。
というわけで最後に、持ち前のフロンティア・スピリットで、レトロ調の驚きの最新鋭小型車でも開発していただいたら面白いと思うが如何だろうか!?
(敬称略)〔2018‐7改〕
「フロンテ800」忘れていた社名だね。
車以外の文章が長いが、1965年ドラフトを辞退し、別会社を選んだ年だったことを思い出した。