三菱500…Ⅰ

このクルマを想い出す時、私の脳裏に必ずついてくる「FIAT500」。自身の感触としての語呂やイメージが似かよっているからだが、開発にあたって欧州で市場調査が行われたと聞いていたこともあり、三菱が最初に手掛けた国内初見込生産乗用車「三菱A型」が「FIAT」を参考にしたと公表されているからでもありそうだ。「三菱A型」を手掛けたのはなんと大正6(1917)年だから100年も前のこと…歴史を感じる。

その三菱が戦後初の量産型四輪乗用車として開発したのが『三菱500』だ。国民車構想の出現からの誕生と聞くからかシンプルで飽きの来ない雰囲気がなんとも言えず好きだった。車名もシンプルで、排気量を表した『三菱500』。ちなみに現代版「FIAT500」は排気量ではないが…。

さて、『三菱500』はモノコック構造のRRだった。強制空冷2気筒OHV、排気量493cc最高出力21psのNE19A型エンジン搭載の全輪独立で定員は4名、価格が40万を切ったことで評判となった。もっとも、将来とも自分が車を買うなど想像もできない時代の小学生だった僕にとってはまさに雲の上のことだったが…きっとすごいことなんだろうとは思っていた。

発売は昭和35(1960)年で、前年に始まったレコード大賞が第2回を迎え「誰よりも君を愛す」(松尾和子/和田弘とマヒナスターズ)が受賞。ムード歌謡のさきがけ?…大ヒットした。ませていた僕もよく歌ったものだが、その大ヒットとは裏腹!?にシンプルすぎるこの車の売れ行きは残念ながら芳しくなかった。

そして、発売半年後の10月には三角窓とヒーターなど装備の「デラックス」を加えるが、昭和36(1961)年8月には排気量594cc最高出力25psのNE35A型搭載、定員5名の「スーパーデラックス」を追加し、同時に「デラックス」の生産を打ち切った。後部座席の窓も上下スライド式にするなど進化版だった。

このクルマが後に「コルト600」を生み、更に発展を遂げ三菱自動車の中核をなすことになっていく原石だった訳だ。

写真は、先日見学させて頂いた「三菱オートギャラリー」の展示車「スーパーデラックス」を撮影したものを掲載したが、その際は楽しませて頂き感謝。

締めくくりに、自動車ファンとしては、このところのイメージダウンを早く払しょくして、歴史ある「技術の三菱」へのイメージアップを期待しているところだ。[2017‐12改]

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