CEDRIC[1st]…Ⅰ

女優の黒木瞳と(故)川島なお美。その美しい容姿からは年齢を感じさせない、怪しい?魅力のお2人と同じ昭和35(1960)年に『セドリック』の初代30型が誕生した。

「オースチン」の後を受け、日産が新規開発した意欲作として、英国風の技術と、当時としては斬新なアメリカンスタイルでの登場だった。自動車ファンとしては、嬉しいかな、東武鉄道がこの年から運行した特急用車両「1720系」のデザインは、この『セドリック』の影響を受けたものだと聞いた。確かにその雰囲気があった。

本題に戻るが、この時代は岩戸景気と言われた好景気。池田内閣が「所得倍増計画」を閣議決定するなど高度経済成長時代の幕開けの時代で、前年に首都高速道路公団が設立されるなど、道路整備の本格始動の年でもあった。また、ファッションの世界ではミニスカートが登場した年でもあり、正直、嬉しかった‼

一方、日産とトヨタの乗用車戦争「ブルーバード対コロナ」の販売競争も激しさを増し、来るべきモータリゼーション全盛の初期段階の時代でもあった。そのような時代に日産が新たに開発したG型(4気筒OHVオーバースクエア1.5L、71ps)エンジンを一体構造のモノコックボディに搭載して登場した。

写真は発売の昭和35(1960)年発行のカタログからの「デラックス」だが、「高度の品質」として「大きくて使いやすいリヤートランク」、「ゆきとどいたアクセサリー」としてスペアタイヤを立てて収納していた点などを挙げ、パンク処理への配慮…、その多かったことを想い出させる。

また、「●オールトランジスター、ポータブル兼用ラジオ」(ポータブルとしても使えるなど現代でも注目に値する)。「●温度、風量の調節が自由なヒーター」などが列挙されている。

その後、ボディ、エンジンともに精力的に追加、変更されていった。

ここで一服…、この年の相撲界では大鵬が大活躍、強かった。このところの暴力事件など早く解決してほしいところだ。

ところで、車名の由来を紐解くと、技術習得の「オースチン」にちなんでイギリスの小説「小公子」の主人公『セドリック』の名を付けたという。また、別に聞いた話だが、アメリカの名車「キャデラック」とゴロが似通っていることも意識したとか…。名付け親は当時の取締役社長川又克二だった。

最後に、名車『セドリック』の名が消えたのは誠に残念である。

(敬称略)[2017-12改]

 

CEDRIC[1st]…Ⅰ” に対して1件のコメントがあります。

  1. 冨井 誠一 より:

    昭和35年、会津の山奥から、蒸気機関車に乗って東京さ出てきた年だったと思う。
    まだセドリックなんて車名も知らなかったが、将来この車に関係する会社に入社するなんて、夢にも思わなかった。
    会社のセドリックは乗ったが、自分の車としては乗れなかったな。

  2. 加藤寛教 より:

    日産セドリック生誕60周年記念おめでとうございます。日産初の中型セダン、日産セドリックが発表・発売。縦型丸型4灯式ヘッドランプを採用。エクステリアデザインは、直線基調のアメリカンデザインを採用。G型 1500cc L4 OHV 71馬力のエンジン搭載。ボディは、一体構造のモノコックボディを採用、グレードは、デラックス&スタンダードの2種。

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