SUBARU SAMBAR

「てんとう虫」の愛称で親しまれ大人気となった「SUBARU 360」。

〈昭和38(1963)年のカタログからの「富士 ベル204B型ヘリコプター」と並んだいかにも富士重工らしい1ページ〉

「小柄でかわいらしい」くるまだったが機能や性能は開発者である百瀬晋六が目指した通り、規格は当時の軽でありながら小型車の実力だった。

今回ご紹介の『SAMBAR』もその百瀬晋六の開発チームにより開発されたが、よくある乗用車からの派生車ではなく商用車としての開発だった。

昭和35(1960)年開催の第7回全日本自動車ショーで発表、翌昭和36(1961)年2月に「TRUCK」、9月に「LIGHTVAN」(3扉型)を発売。

さらに翌昭和37(1962)年3月には(4扉型/当時軽4輪唯一)を追加した。

あどけない顔つきがなんとも可愛かったが、積み荷に優しいと好評だった「スバルクッション」など性能・機能はしっかりものだった。

昭和37(1962)年の発行と思われるカタログには「繁栄を招く…」

なぜなら

「荷台が低くて積みおろしが楽。」「スバルクッションは積荷をいためない。」「狭い道でも楽に走れる上、駐車に場所をとらないので活動力が大きい。」「運転が容易でしかも経費が少ない。」としている。

エンジンは「強制空冷2サイクル2気筒356cc18ps/4700rpm3.2mkg/3200rpm」。

懸架装置は前輪が「トレーリングアーム式トーションバーとコイルスプリング併用復動ダンパー付」独立、後輪は「スイングアクスル式トーションバー復動ダンパー付」独立の4輪独立懸架。

最高速度は80km/h、燃料消費率25km/l、登坂力14.5度(LIGHTVANはそれぞれ75km/h、24km/l、13.5度)と高性能でありながらフロントにナンバープレートがなく、フェンダーミラーは運転席側のみというのも大いに時代を感じさせる。

ここにそのカタログからの画像を見て頂く。

ところで、「TRUCK」発売の昭和36(1961)年は「小児麻痺ワクチン」投与開始の年だが、今、世界中で「新型CORONA用ワクチン」切望というのが実情だ。

しかし、副作用に対する検証やウイルスの変異など難題山積との報道を見聞きするにつけ専門家だのみの毎日だ。よろしくお願いしたい。

一方、日々対策に追われる都庁だが、その都庁で「時差出勤」を始めたのがこの年のこと。

尚、ここで改めて、新型CORONAに対峙している全ての医療従事者の方々に敬意を表しお礼を申し上げたいが、感染しないようにすることが何よりだ。

最後に、航空機製造の技術を生かしたクルマ造りはわが国では特異な存在だが、その富士重工の極めつけ職人技と技術を生かして近年絶好調の軽自動車市場に個性的で魅力あるパイオニア「SUBARU」を復活させて欲しいところだ。

(敬称略) [2021-1]

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