Tokyu Store 40th くらしに優しい目をむけて ありがとう40年 東急ストア
SUNTORY MALT’S
「東急ストア創業40周年記念缶」にもかかわらず、デザインは「東急ストア創業当時の東急東横線」で、乗りもの好きの小生にはぴったりだ。
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幼児の頃からおよそ20年間、「東急東横線」と共に生きてきた若き日の想い出。
菊名駅(国鉄と共用)の改札に向かって左に郵便局、右は同級生の家でお菓子屋さん。
今はずっと高い位置に上げられているが、当時から上に交差していた国鉄横浜線。
東急東横線は言わば盆地の底で、大雨が降ると浸水し、そのたびに悩まされていたが、その光景ははっきり目に焼き付いている。
ちなみに、当時の国鉄横浜線には蒸気機関車に引かれた貨物列車が活躍していた記憶だ。
さて、実際に乗った「東急東横線」の車両の変遷、まずは「ミカン箱」
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[東急電鉄(株)ホームページより]
と呼ばれた戦後初の新造車両、「デハ3700形」。
その後、昭和29(1954)年には「青虫」の愛称がついた「旧5000系」
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[東急電鉄(株)ホームページより]
が登場する。子供だった小生にとっては、いっきに近代化された感があった。
電車に乗って横浜に母親と出掛けるのが楽しみだったあの頃。
そして、小学校中学年だった昭和33(1958)年にはステンレスカー「5200形」(日本初のステンレスカーとして機械学会の機械遺産に指定された)が加わった。
小学校の卒業文集に寄せた小生の作文にもその変遷を綴ったが、なつかしい想い出だ。
[2024-3]