FRONTE 7-S

「わが国軽自動車の先鞭をつける」とされた

昭和30(1955)年発売の「SUZULIGHT」。

[スズキ歴史館展示車]…小生撮影

[昭和31(1956)年発行のパンフレット]

エンジンは[「L型」2衡程空冷2気筒360cc16㏋/4.200r.p.m.(装備馬力)3.2kg-m/3.200r.p.m.]を搭載、変速機は[「普通型」(選択摺動常時嚙合)前進三段、後退一段]で、最高速度80km/hだった。

「FRONTE」の歴史は、このくるまを進化させ昭和37(1962)年に誕生した「SUZULIGHT FRONTE TLA」

[パンフレットより]

エンジンは[空冷2サイクル2気筒直列21PS/4500rpm3.2kg-m/3500rpm]を搭載、変速機は[前進4段後退1段、2-3-4速シンクロメッシュ]から始まった。

そして、昭和42(1967)年登場の2代目が「コークボトルライン」

[カタログより]

の「FRONTE 360」だ。 

それから、昭和45(1970)年後半に3代目前期型とされる71年型「FRONTE 71」

[カタログから]

が登場。

先代の「FRONTE 360」と同様「RR」で、エンジンは[「空冷2ストローク3気筒3キャブレター7ベアリング、直接給油方式(CCI)30ps・31ps・34ps・36ps」]の4タイプが設定された。

4輪独立で、「FRONTE 360」とは全く違う「スティングレイ・ルック」とされる「広く、低く、鋭く…」を追及したボディ形状だった。「スティングレイ」は言うまでもなく「エイ」のことだ。

翌昭和46(1971)年には3代目後期型の72年型「FRONTE 72」

[カタログから]

に進化。

そして翌昭和47(1972)年秋に3代目最終型とされる「FRONTE 73」

[My SKETCHBOOKより]

に進化する。

「71」「72」同様「スティングレイ・ルック」だが、グリルのデザインが変更されボンネットにくっきりした出っ張りをもたせ、バンパーの形状変更、ヘッドライトを角から丸にするなどより精悍(小生の感想)になった。

喚起性能の向上で3角窓をなくし、すっきり感を増した感じだった。

水冷中心の車種構成で、主力のエンジンは従来からの「LC10W」型を搭載したが、問題視され始めた公害対策として吸気系の「SRIS(SUZUKI・RECYCLE・INJECTION・SYSTEM)」などがシステム化された。

その後、昭和48(1973)年に4代目

が登場する。

直線的だった先代のデザインをオーバル・シェル(卵の殻)と呼ばれる曲面構成の丸みを帯びたボディに一新、リヤの「オープンバック・ウインドー」

[カタログより]

が特徴的だった。

エンジンは[水冷2サイクルで分離型直接給油方式(スズキCCIS)採用の「LC10W型」]を搭載、セダン系4ドア2ドアは34ps/6000rpm4.2kg‐m/4500rpm、ツーリスモ系は37ps/6500rpm4.2kg‐m/4500rpmを発生した。

価格は356,000円(東京)だった。

そして昭和51(1976)年、『FRONTE 7-S』が登場する。

登場時発行のカタログに「新規格車」、「安定感あふれるスタイル…大きなゆとりを秘めた大人のセダン。」とあり、「7つのSは、新しい時代への架け橋。」として[1Space・2Safety・3Sense・4Save money・5Silent・6Stamina・7Suzuki TC]を挙げている。

デザイン、スタイルは「名車フロンテ14年めの大きな変身」と謳っている通りだと感じたものだ。

4DOOR/2DOORともSEDANのみで、エンジンは[伝統ある水冷2ストローク3気筒(スズキCCIS)に「独自の排出ガス対策Suzuki TCを採用。」]。

排ガス対策により以前の出力が得られないのは時代の要請だから仕方のないことで、[450cc26PS/4500rpm4.7kg-m/3500rpm]の実力だった。

フェンダーミラーが新鮮で、インパネはシンプルだが綺麗なデザインだった。

登場の昭和51(1976)年は、河野洋平らが自民党を離党し新自由クラブを結成した年。

ピンクレディーが「ペッパー警部」でデビューの年でもあった。

(敬称略)

[2023‐5]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です