TOYOACE [2nd]…Ⅱ

飾ったトラックで新しい年の初商いの荷を運ぶ…。

のぼりを立て正月の街をさっそうと走るトラック(その昔は飾り立てた馬だったというが…)、時代の流れか、残念ながら近年はあまり見られなくなった「初荷」の光景。

「痩馬を飾り立てたる初荷かな」という子規の句が残っているほど古くからの風習だ。

  その物流、いや、運搬を担い1950年代に大活躍したオート三輪車に変わって、後半には小型四輪トラックが台頭してくる。

 早くもトヨタは昭和29(1954)年にオート三輪車ユーザーを取り込む意図で実用重視のセミ・キャブオーバータイプ1000㏄30psのトヨペット・ライト・トラック『SKB型』を登場させた。

  三輪車全盛の時代、四輪車は価格が高いことで苦戦を強いられたが価格対策と親しみやすい名前を付けるという「自工の石田、自販の神谷」両トップの英断で台数を伸ばし「トラックの国民車」と言えるまでになったという。

その名は一般から募ったものだが、20万通を超える応募があり、決戦投票の結果「ナンバーワン」を意味する『TOYOACE』に決まったと聞く。

 昭和31(1956)年からこの名がつき、これがその初代となり大幅に販売台数を伸ばした。

 ところで、『TOYOACE』誕生の昭和31(1956)年に発表された経済白書には「もはや戦後ではない」と表現され、これが流行語にもなった。戦後10年を経て混乱を脱し、朝鮮戦争による特需からの神武景気と言われた世相を見事に表していたのだろう。

 上の画像は昭和31(1956)年『トヨペット・ライト・トラックSKB型』に『TOYOACE』の名をつけたのち更にパワーアップ(30→33馬力)した昭和33年(1958)年頃の発行と思われるカタログからの標準型。

表紙に「価格が安いこと、性能がよいこと、堅ろうで維持費が少ないことから、トラックの国民車と云われ、素晴らしい普及をとげています。」とあり、特徴として「☆8尺3寸の広い荷台(標準型)、丈夫な全鋼製☆燃料消費が少ない33馬力エンジン☆独自のセミ・キャブ、運転がし易い☆クッションが良く、荷傷みが少ない」を挙げ、標準型のほか「高床荷台」を含む

 5タイプを載せている。

そして昭和34(1959)年春、2代目

が登場する。

初代からのセミ・キャブオーバーを継承しながら、エンジンを後退させることで乗車定員を3名に、国産車初のチルトキャブ

を採用して整備性を高めた。

最大積載量は1000kg[ダブルキャブのみ850kg乗車定員6名(初代は5名)]を継承した。

車体色は明るい同系色のツートーンにした。

エンジンは当初「S型」4気筒直列側弁式1000cc33HP/4500rpm6.5kg‐m/2800rpmを継承したが、同年秋には新しいタイプの「P型」4気筒直列頭上弁式1000cc45ps/5000rpm7m.kg/3200rpmを搭載しパワーアップした。

その後のMCで1200ccエンジン搭載の1トン/1.25トンに進化。

さらなるMCでは「3P型」1350cc(65ps/5000rpm10.3kg・m/3000rpm)搭載車と「2R型」1500cc(70ps/5000rpm11.5kg・m/2600rpm)搭載車を設定した。

ここに昭和42(1967)年発行の4灯式、最終型と思われるカタログからの画像をご紹介するのでご覧頂きたい。

[4灯式で、より豪華な感じになった]

[すっきり広々の運転席]

庶民の生活に密着した小型トラック。

中でも今日までつながる小型四輪のキャブオーバー経済車で先駆の『TOYOACE』。

自ら「トラックの国民車」と名乗るまでに至ったトヨタの実力に拍手だ。                 

(敬称略)

[2023-1]

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