HONDA LIFE [1st]

昨年からのCORONA禍で生活パターンを「CHANGE」せざるを得なくなった人、あるいは自主的に「CHANGE」した人も多いことだろう。

そこで今回は、HONDAの大きな「CHANGE」について回想する。

一口に「CHANGE」と言っても、島倉千代子の歌をもじった小泉純一郎の国会答弁風に言えば、「内容も色々」「程度も色々」だが、この「CHANGE」は、エンジンを「空冷から水冷に変えた」ことだった。

HONDA初の本格的小型乗用車だった「1300」の特徴でもあった「本田宗一郎こだわりの空冷エンジン」を水冷路線に転換させることは、創業者でカリスマ経営者とも言われたあの本田宗一郎に第一線技術者からの引退を決意させたほどの大きな出来事だった。

低公害エンジンの開発を迫られるにあたって、転換を強く主張する部下(若い技術者達)からの直訴から思いを汲み取った盟友藤沢武夫からの説得があっての決断だったと聞く。

決断後初の水冷エンジン搭載車は「N360」の流れを汲む『LIFE』だった。

誕生は昭和46(1971)年で、ちょうど50年前のことだ。

FFの4/2DOOR F・B SEDANからスタートした。

カタログの表現を借りれば「精悍さとか、荒れ馬の性格ではなく、①落着いた室内②静かでなめらかなエンジン③おだやかな走行④やさしい運転―を特徴とし、どなたにもご愛用頂ける車になっています。」としている。

注目のエンジンは「水冷並列2気筒OHCの360ccで30ps/8000rpm2.9/6000rpm」だった。

翌昭和47(1972)年デビューの小型車「CIVIC」、言わば、以降のHONDAの中核をなすくるまに繋がるという意味でもHONDAにとって重要なくるまだった。

ここに、誕生の際のカタログからの画像をご紹介するので、お楽しみ頂きたい。

《「毎日のしあわせな生活」―「LIFE」を文字ったサブタイトルをつけて説明》

その後、同じ年のうちに「ライトバン」、「ワゴン」を追加。

翌昭和47(1972)年にはツインキャブの「ツーリング」を追加、「ステップバン」も発売する。

さらに、昭和48(1973)年に「ピックアップ」を発売するなど拡大してきたが、小型車の「CIVIC」との価格差が小さいなどの理由から昭和49(1974)年に軽乗用車部門の生産休止を表明し、『LIFE』も製造・販売を終了する。

その後、2代目は平成9(1997)年まで登場しなかった。

さて、初代誕生の昭和46(1971)年は環境庁発足の年。

また、江夏豊がオールスター戦で九連続奪三振を記録した年でもある。

日清食品が「カップヌードル」を発売、レコード大賞新人賞を「私の城下町」の小柳ルミ子が受賞した。

懐かしさもひとしおだ。

(敬称略)

[2021‐8]

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