FAMILIA ROTARY COUPE

大正9(1920)年、「東洋コルク工業」として誕生した現

在の「MAZDA」は今年創立100周年を迎えた。

その長い歴史の中でも特筆すべきは、「東洋工業」時代

に「ROTARY」エンジンの実用化に挑戦したこと。

「ROTARY」エンジンは、さかのぼること昭和36(1961)年に西ドイツNSU社とバンケルタイプの技術提携の後、4部門50名近い規模の「ロータリーエンジン研究部」を組織し「悪魔の爪痕」とまで言われた「波状摩耗」などの難問解決に取り組み昭和42(1967)年にNSUに次ぐ世界で2番目(2ローターでは世界初)の「COSMO SPORT」

をデビュ―させたという苦心の結実であったと聞く。研究部長だった山本健一は後に社長、会長を務めた人である。

MAZDA COSMO SPORT

COSMO SPORTの記事はこちら↑

そこで今回は、世界初の量産型搭載車となった「COSMO SPORT」に続く第2段の『FAMILIA ROTARY COUPE』をご紹介する。

「ROTARY」エンジンの普及展開のために開発されたとされるこのくるまは昭和42(1967)年開催の第14回東京モーターショー

に登場した「RX85」をベースに昭和43(1968)年に登場した。

「COSMO SPORT」と同じ「10A」型のデチューン版とは言え491ccX2ローター搭載の100ps/7000rpm。

セミモノコックのボディーにコイルスプリング・ストラットやダンパー採用の懸架装置、タンデム型マスターシリンダー、前輪ディスクブレーキ、偏平タイヤなどが最高速度180km/hの実力を支えていた。

昭和44(1969)年のシンガポールグランプリ優勝など、世界のレースでの活躍も目覚ましく、モータースポーツ界にも大きく貢献した。

初めて見た時に感じた「綺麗なライン‼」の印象が今も鮮明だ。

ここで登場時のカタログからの画像をご覧いただくが、冒頭に「世界にチャレンジする世界の新車」とあり、見開きの実物大エンジンカット写真が綴じ込まれていて「同等馬力レシプロエンジン」6気筒、4気筒とのサイズ比較図面が誇らしげだ。さらに、「座っただけで運転の喜びがあふれる操縦席―コックピットー」としてT型コンソールを中心とした運転席まわりの全体写真が速さへのイメージを醸し出している豪華版だ。

登場の昭和43(1968)年は東大闘争(安田講堂占拠)をはじめとする大学紛争激化の年だった。

成田空港反対派の三里塚闘争もあった。

また、参院選で当時作家の石原慎太郎はじめタレント議員の大量当選が話題となった。

そして3億円事件、大衆車の代表格「カローラ」が印象深いのが何とも…。

一方、「少年ジャンプ」創刊や「大塚のボンカレー」発売も懐かしい。「厚木ナイロンのパンティーストッキング」発売はミニスカート促進の立役者?かも。

ちなみにこの年のレコード大賞は超ミニの黛ジュンが歌った「天使の誘惑」だった。

最後に、当時「ROTARY」エンジンを実用化させた意欲と技術力を今後とも魅力ある現代版スポーティーカー開発に生かしていただけることに期待大である。

(敬称略)

[2020-12改]

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