MAZDA COSMO SPORT

大正9(1920)年、「東洋コルク工業」として誕生した現在の「MAZDA」は今年創立100周年を迎えた。

その長い歴史の中でも特筆すべきは、「東洋工業」時代に西ドイツの「NSU」社と技術提携し「ROTARY」エンジンの実用化に挑戦したこと。

「悪魔の爪痕」とまで言われた「波状摩耗」などとの悪戦苦闘の末に実用化し、「マツダ」に社名変更してからも生産を続け人気の車を生み出した。

そこで今回は、世界初の量産型搭載車となった『COSMO SPORT』をご紹介する。

「『走るというより、飛ぶ感じ』を具現化した」とされるこのくるまは、昭和38(1963)年の第10回全日本自動車ショーに登場(Photo panelのみだったか?記憶がないが…)した記録がある。

翌昭和39(1964)年の第11回東京モーターショー(この年からショーの名称が変更になった)にはプロトタイプを展示し、翌昭和40(1965)年から連続高速耐久テストを繰り返した。この年開催の第12回東京モーターショー、さらに、昭和41(1966)年の第13回

東京モーターショーでもプロトタイプを展示する。

こうして周到に進められ、昭和38(1963)年の全日本自動車ショー登場以来4年後の昭和42(1967)年、 初代「L10A」型が販売開始された。

〈初代 COSMOSPORT〉

初代は、「10A」型 ROTARY ENGINE(491cc×2ローター、110ps/7000rpm、13.3kgm/3500rpm)を搭載、0-400m/16.3sec、最高速度185km/hを実現した。

「爆発力がそのまま回転力になる」とされた、速い‼イメージ通りだった。

そして、早くも翌昭和43(1968)年、ポートタイミング変

更に伴う吸入効率向上によるパワーアップを果たしMCされ「L10B」となる。

パワーアップされた「10A」型 ROTARY ENGINE

(491cc×2ローター、128ps/7000rpm、14.2kgm/3500rpm)を搭載し、0-400m/15.8sec、最高速度200km/hの実力を発揮した。

ここに、MCの昭和43(1968)年発行と思われるカタログからの画像をご紹介する。

この年登場の『FAMILIA ROTARY COUPE』の初代とコンビネーションされたものなので、比較しながら見て頂ければと思うが、『FAMILIA ROTARY COUPE』については別途ご紹介するので、お楽しみに。

初代が発売された昭和42(1967)年は、第2次佐藤内閣 が成立。 

角界では、高見山が初の外国人関取(十両)に昇進、一方で、反対派座り込みの中、成田新空港の測量が開始された年でもあった。

(敬称略)

[2020-8]

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