HONDA 1300

神奈川県の「丹沢大山国定公園」に属する「大山」。

「日本三百名山」、「関東百名山」のひとつで人気の山だ。

山頂に「大山阿夫利神社」本殿、中腹に下社があり別名「阿夫利山」、「雨降り山」とも呼ばれる。

昔から「雨乞いの神」とされ農民の信仰を集めたと聞く。

標高は1252M。

小生も好きな山のひとつだ。

そこで今回、四捨五入で1300にこじつけて『HONDA 1300』をご紹介する。

昭和43(1968)年の東京モーターショーに登場、翌

昭和44(1969)年に発売された。

当時のカタログ表記からまとめると1300cc「OHC並列4気筒(前輪駆動方式)」で、当時のF-1マシーンにも採用された「DDAC(1体式2重空冷)方式」や「ドライサンプ潤滑方式」を採用した本田宗一郎こだわりの空冷だった。

当初の設定は「セダン」のみの「77」と「99」の2グレードだった。

「77」はシングルキャブ(気化器「横向可変ベンチュリー型1個」)でも100ps、4キャブ(「同型4個」)の「99」は115psの高出力を誇った。また、後輪を独特な「クロスビーム式」にするなど乗り心地重視とされた4輪独立懸架。

しかし、エンジンにシャシーが負けるアンバランスなどトラブルが続出、発売後半年あまりで「77」を95ps、「99」を110psにデチューンするなど変更されたが、翌昭和45(1970)年には「クーペ」を加えバリエーションを広げた。

「セダン」同様シングルキャブ95ps、4キャブ110psを搭載し、前者を「7」後者を「9」と命名、足回りを硬くするなどエンジンによりマッチしたシャシーへの改善が図られての登場だった。さらに同年、「セダン」「クーペ」共に別チューンの80psエンジンを搭載してスムーズな走りにこだわったAT車も追加した。

本田宗一郎の空冷主義、最後のこだわりとなった「1300」。

発売の昭和44(1969)年、アポロ11号の月面着陸に多くの人が感動した。

国鉄から読売へ移籍した投手、金田正一が400勝を達成。

千葉県松戸市に「すぐやる課」ができたのもこの年。

また、カード式CD(キャッシュ・ディスペンサー)が登場し便利になったと感心したものだが、その進化形のATMが「振り込め詐欺」の舞台になるとは考えもしなかった。

最後になったが、本田宗一郎こだわりのくるまをデチューン前の初期のカタログからの画像で振り返っていただきたい。

(敬称略)

[2019-8改]

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