MAZDA ROADPACER 

道路は我々の生活に欠かせないインフラだ。

近年…、 高速道路では「SA」がリニューアルされ、まるで一大ショッピングセンター。以前から配布されていた地図を地図入り情報誌に変え、人気芸人のSA巡りや名物ランキングを付けるTV番組すらあるほどだ。

一般道には「道の駅」が増えて1154(国土交通省HPより2019年3月現在登録数)を数え、ここでもログハウスだったり地元名産の新鮮野菜や工芸品など各々特色がありガイドブックが出版されているほど。

道路環境様変わりといったところだ。

そこで、その道路にちなんで、「マツダ」がフラッグシップモデルに据え、その名の由来が「道路の王者」でもあると言われた、生産累計799台(4年間)の希少なくるま『ROADPACER』をご紹介する。

大型乗用車ゆえ限られた需要であることから、オーストラリアのGMホールデン社製「ホールデンHJプレミア」、のボディ、シャシーを採用することで開発コストを抑えたと聞く。これに「13B型ロータリーエンジン」を搭載して誕生したのが昭和50(1975)年。

ここで、誕生時のカタログからの画像を見て頂く。

小生の当時の率直な感想は、ヒップダウンが強調されるスタイルだったが、性能的には654cc2ローターで135ps、JATOCO製3速コラム装備で最高速度165km/hの高性能。…でありながら「大型車の先頭をきって、50年規制に合格…」していたことで注目された。

セパレート(乗車定員5)とベンチ(同6)の2タイプだった。

同年10月には51年規制クリア。

…で、その際に発行されたカタログからの画像から詳細ご覧頂きたい。


その後昭和52(1977)年には、グリル、ダッシュボードなどをマイナーチェンジし昭和54(1979)年まで生産された。

ちなみに「いすゞ」が昭和48(1973)年から同じく「ホールデン」社製「ホールデンステーツマン」を輸入し日本規制適合の為の最低限の変更で販売した「ステーツマンデビル」同様、やはり希少なくるまだ。

誕生の昭和50(1975)年、奇しくも広島東洋カープが初のリーグ優勝を果たした。市民球団からの創設でもあり、新生「赤ヘル軍団」の活躍に広島市民は熱狂した記憶だ。

また、国鉄(当時)が本線でのSLの運行を終えた年でもある。現在、復活した観光路線での運行が人気だ。

 最後に、道路環境の変化でコンビニが増えたことも合わせると膀胱が破裂寸前のあのつらい思いをしないで済むのが何より。冷や汗ものだった。

[2019‐6改]

MAZDA ROADPACER ” に対して1件のコメントがあります。

  1. 加藤寛教 より:

    GMオーストラリアのホールデンHZステーツマンである、日本のいすゞステーツマンに次いで、日本のマツダ(旧・東洋工業)は、HJプレミアのシャーシ/ボディをホールデンから購入し、13Bロータリー搭載のマツダロードぺーサーとして、’75年から’79年迄マツダ車の最上級車として販売した。ライバルは、トヨタセンチュリー、日産プレジデント。’70年代の日本車は、GMはいすゞ&マツダ、フォードはマツダ、クライスラーは三菱に資本提携。’70年代の日本の輸入車では、オーストラリアやアメリカ車等を含めて、オーストラリアの日本の逆輸入車である、いすゞステーツマン(オーストラリアのホールデンHZステーツマン)、マツダロードぺーサー(ホールデンHJプレミア)、三菱クライスラーセダン&ヴァリアント・チャージャー(クライスラーオーストラリアのクライスラー製)、フォード・ファルコン(フォードオーストラリア)。アメリカの逆輸入車の、三菱デボネア・インペリアル(プリマス・ヴォラーレ)。懐かしい’70年代のオーストラリア製の日本で逆輸入車が珍しいです。’90年代の’91年には、オーストラリア日産から、ブルーバード・オーズィーが、日本から逆輸入。イギリス日産から、プリメーラ5ドアセダンが、日本から逆輸入(初代から2代目迄)、マイクラC+C&デュアリスが、日本から逆輸入。今迄の日本車は、オーストラリア、アメリカ、イギリスから輸入したのは良かったけれど、今はタイ製のトヨタハイラックス4WD、日産マーチ&キックス、ホンダグレイスが日本で逆輸入されている。タイ日産製のコンパクトセダン、日産アルメーラが販売され、日産ラティオも日本で、逆輸入して欲しいです。

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