TOYOPET CORONA [1st]…Ⅰ
このクルマを初めて見た時、「TOYOPET MASTER」の弟だと思ったものだったが、開発したのが同じ「関東自工」だったからにほかならない。
発売されたのは昭和32(1957)年だが、自工が開発していた小型乗用車の完成を待たずに急きょ「関東自工」に開発依頼したのは、(当時)自販の社長で、後に「販売の神様」と言われた神谷正太郎だった。
実は、タクシー業界からの声と販売店対策だったと後に知ってなるほどと思った記憶だ。
開発を急いだため、エンジンはすでに実績のあった「S型」の改良型(4気筒直列側弁式の1000cc33ps)を搭載、「CROWN」の部品も流用するなどし、ボディを「関東自工」に依頼したという。急いでいたとは言え、そのボディはトヨタ初「ビルトイン・フレームの堅ろうな」モノコック構造だった。
車名の由来は、明るさをイメージして「燃える太陽の周りの朱色の炎」から『CORONA』と命名されたという。愛称は見た目の印象から「ダルマ・コロナ」だった。
ここでご覧いただくのは昭和33(1958)年頃の発行と思われる、「ボディ・サイドに新たにモールディングを取付け」るなど改良したあとのカタログからの僅かな画像だが想い出してみていただきたい。
ふた家族でのドライブ、8mm映写機?でのお父さんの撮影風景、現在は超小型VTRとワンボックスカーに取って代わられたが、気持ちは同じだ。
「ラジオ、カー・ヒーターは御要望…」
時代を感じるところだ。
タクシー業界への
アピールもしっかりと入れ込んで、強調している。
昭和34(1959)年には、新たに開発された「P型」(4気筒直列OHVの1000cc45ps)エンジンに変更した。
発売の昭和32(1957)年には「Coca Cola」が本格上陸、有楽町には「そごう」がオープン。
「喜びも悲しみも幾年月」が封切られ主題歌も大ヒットした。
最後に、平成13(2001)年までの40年以上も主力車種としてトヨタに貢献することになったことはスタートの経緯からは思いもよらないことだった。
(敬称略)[2019-3]
“TOYOPET CORONA [1st]…Ⅰ” に対して1件のコメントがあります。