SUZULIGHT
夏バテ防止に一役買ってくれる「うなぎ」から浜松を連想する人が多いと思うが、オートバイや楽器の著名なメーカーの多くが浜松で創業している事も良く知られている。(現)スズキもそのひとつである。
創業社長鈴木道雄の先見の明。そして、推測も交えれば、その創業社長に物言える環境と取り巻きがあってこその慎重で堅実な舵取り‼織機メーカーから自動車メーカーに転身した(現)スズキの歴史の発端だ。
自転車用エンジンからスタート、二輪車「コレダ」を生んだ。そして、わが国初の本格的軽四輪乗用車(商業者含む)の開発に成功した。
この成功までの四輪車開発の歴史をたどると、なんと昭和11(1936)年にさかのぼる。「オースチン・セブン」を参考にスタートした。戦争による中断で、再開したのが昭和29(1954)年である。
「ロイト、フォルクスワーゲン、シトロエン2CV」を買い入れて精力的に研究し、特にボディは「ロイト」を参考に設計されたと聞く。鈴ライト!?の誕生である。スズキの「スズ」に、明るい、軽いを意味する「ライト」を組み合わせて『スズライト』だ。
生産開始は昭和30(1955)年。この年は、きしくも「国民車構想」出現の年だが、自動車の強制保険制度が始まった年でもある。政治の世界では自由党と日本民主党が自由民主党を結成、社会党も5年ぶりに右派、左派が合同し、いわゆる55年体制がスタートした年である。また、あの「クレージーキャッツ」が誕生した年でもある。楽しかった。そして、石原慎太郎の「太陽の季節」が発表されるなど、若者の意識も大きく変わっていった時代だったと回想する。
ちなみに、厚生省(当時)発表の平均寿命は女68歳、男は64歳で、いずれも現在より大きく下回るが、男女差が現在よりも小さいのは、平均的に男が威張っていたからなのか?
ところで、鉄道ファンならよくご存じかと思うが、玉電の車両で「いもむし」「ぺこちゃん」の愛称がついた人気車両「デハ200形」が産声を上げたのもこの年だ。グリーンとクリーム色のツートーンで愛らしい姿が懐かしく思い出される。玉電は、ごく大雑把に現在の線区でいえば、田園都市線の一部と世田谷線に当たる。
さて、本題に入ろう。
このカタログは発売翌年の昭和31(1956)年に発行されたものだが、特長として、軽自動車免許で乗れることと車体検査がないため、経費や手間がかからないことを強調している。空冷2サイクル2シリンダー360ccエンジンで16HP、燃料消費量25km/Lとなっている。また、「前部機関、前輪駆動」の表記が時代を物語っている。
タイプは「ピック・アップ、デリバリバン、セダン、ライト・バン」のワイドバリエーションだった。しかしながら、この時代はまだ一般に乗用車が拡大していく状況ではなく、数年後には商用であるライトバンに生産を一本化せざるを得ないのが実態だった。よって、乗用車は昭和37(1962)年の復活となった。
このカタログは、その復活翌年の昭和38(1963)年頃の『スズライト360フロンテセダン』のものだ。「バカンスを4人で!」のキャッチフレーズと女性のスカーフが時代を感じさせる。四人乗りの本格的乗用車でありながら、経済的(税金:年額3000円)と表現されている。そして、空冷2サイクル2シリンダー360cc、21HPの高出力で前進4段変速。フロントエンジンで、前輪駆動を強調しているところは発売当初と同様だ。
最後に、今や軽自動車業界のリーダ―格グループにあるスズキには今後共更なる飛躍を期待している。
(敬称略)[2018-4改]