HONDA S600
芸者さんのヒップライン!?
実はそのイメージがこの車のボディラインにつながっていったという話を聞いたことがある。本田技研工業の創業者である本田宗一郎に関する本が数多く出版されているが、「よく遊んだこと」の中に「芸者遊びも真剣にやった」などの記述を散見した記憶がある。今になれば、なるほど・・・と思えてくる。ただし、今更言うまでもないが、「よく遊んだこと」の表側には、必ず「それ以上によく働いたこと」の前段があるわけで、私などは、その前段の方こそ見習うべきと、反省しきりである。そのうえで、遊びも真剣なところがいかにも本田宗一郎らしいところだろう。
前段?が長くなったが、『HONDA S600』の愛称は「エスロク」。実に判りやすい。発売は昭和39(1964)年3月。前年に発売したS500をスケールアップし、本格生産に乗り出した。排気量606ccでDOHC、4キャブレターを装備、57psを発生した。L×W×Hは3300mm×1400mm×1200mm(ハードトップは1175mm)のスモールサイズながら、驚き!の四輪独立懸架で、なんとチェーン駆動だった。
考えてみると、現行の軽自動車規格が排気量660cc以下、L×W×Hが[3400mm以下×1480mm以下×2000mm以下]だから実質的に制限いっぱいに近く設計されている現在の軽自動車よりも僅かに小さかったわけだ。
しかしながら、その実力は半端ではない。発売2ヶ月後の5月には、鈴鹿サーキットでの第2回自動車レースで上位を独占。9月にはニュルブルクリンク500kmレースでクラス優勝し、海外での四輪初勝利を成し遂げた。まさに「小さな怪物」だった。
下のカタログはクーペが追加されてからのものだが、パレスホテル前のスナップがお洒落だ。
そういえば15年程前、ダイハツ「コペン」が登場した際に「団塊世代のお父さん達の趣味のクルマ」として大人気となったことは記憶に新しい。そして今、この車を現代風アレンジで登場させたら、これまた大人気になると思うが、如何だろうか?
ところで発売の昭和39(1964)年は、敗戦の日本を占領し、戦後の日本に多大な影響を与えた、当時のGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー元帥がこの世を去った。復興を遂げた日本に何を思っていただろう?
その日本では東京オリンピックが開催され、東海道新幹線(東京―新大阪)が開業した年でもある。さらに、翌昭和40(1965)年には名神高速道路が全線開通するなど高度経済成長時代が続いていた。シャープとソニーが電卓の完成を発表したのもこの年。オフィスオートメーションの兆しだったのだろうか・・・?
さて、今や「世界のHONDA」だが、意外にも国産乗用車メーカーとしては最後発である。しかし、最後発にしろ、現実に今「世界のHONDA」があるのも、本田宗一郎が国策案に猛反発して廃案に持ち込み、乗用車製造の権利を「よく働いたこと」による自信と実力で勝ち取った結果である。そして、新規参入の第一弾がスポーツカーだったのも「HONDA」らしい。
そのことについて考えてみると、スピードを連想するのはごく自然であるし、スピードを追及するのは人類の常でもある。そしてスピードといえばレースに想い至る。
なるほど本田宗一郎をして「レースに勝つことが、ほかの何物にも勝る広告宣伝になる」と言わしめたそうであるが、レースに勝利することは技術力の成果であり、メーカーの実力を示す一番の証明だからにほかならないからであろう。創業の二輪車は言うに及ばず、四輪車においても実現させたその実力と、朋友藤沢武雄はじめ、社員を愛したお人柄に脱帽である。
(敬称略)[2017-12改]
私の広島の知人が、「エスロク」に乗っていたと、懐かしく拝読したようです。
芸者遊びしてみたかったなぁ~?