CONTESSA 1300 COUPE…Ⅰ

パリ・ダカールラリーに「RANGER(愛称:リトルモンスター)」でカミオン(仏語=トラック)部門に参戦し好成績をあげたのが日野自動車であることは、ラリーファンならずとも知る人は多い。

2022年は「HINO600」で参戦し31年連続完走を達成している。

いすゞと起源を同じくするためなのか、両社とも老舗大型車メーカーながら、戦後、外国車のノックダウンによる乗用車製造に着手して国産化を成し、そこで得た技術で独自の人気乗用車を誕生させたあたりも似通った歴史を持つ。  

前述の通り昭和28(1953)年に「RENAULT 4CV」のノックダウンを開始、

[昭和29(1954)年モデルのカタログから]

4年後の昭和32(1957)年にほぼ国産化を達成、そこで得た技術と経験を活かし昭和36(1961)年には独自開発の「CONTESSA」

[誕生の翌年、昭和37(1962)年に発行されたカタログから]

を誕生させた。

初代は「RENAULT」での経験を活かし、カタログには「軽快で安定した乗心地を最大目的として新設計された5人乗り乗用車です」としている。

エンジンは「頭上弁・水冷直列4シリンダ 893cc 35ps/5000rpm6.5mkg/3200rpm」を搭載、独自のRRだった。

ちなみに、「CONTESSA」とはイタリア語で「伯爵夫人」の意味だ。

その後、東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年には「CONTESSA1300」

[昭和42(1967)年発行のカタログから]

が登場する。

イタリア人デザイナーミケロッティとのデザインによる「モノコック・ボディ」採用の5人乗り「SEDAN」で、

エンジンは「1251cc55ps/5000rpm9.7Kgm/3200rpm」。

最高時速は「130キロ以上」とされた。

トランスミッションは「前進3段(ハンドルチェンジ)オールシンクロまたは前進4段(フロアチェンジ)オールシンクロ」、ブレーキは「油圧内拡式全輪制御デュオサーボ式」、懸架装置はフロントが「ウィッシュボーン式」でリヤは「スウィングアクスル式」だった。

そして翌昭和40(1965)年、今回ご紹介する「COUPE」が登場。

同じく、ミケロッティとのデザインによる「モノコック・ボディ」採用の4人乗りだった。

エンジンは「1251ccSU式ツインキャブレータ装備の65ps/5500rpm10.0Kgm/3800rpm」。

トランスミッションは「前進4段(フロアチェンジ)オールシンクロ」、前輪には「ディスク・ブレーキ」、「バケットシート」標準装備、懸架装置はフロントが「ウィッシュボーン式」でリヤは「スウィングアクスル式」だった。

最高速度は「145キロ以上」となっている。

ここに「COUPE」発表時発行のパンフレットからの画像をご紹介するので、正に「伯爵夫人」の名がふさわしい(小生の感想)綺麗なくるまをご覧頂きたい。

[シンプルだが洒落た感じがある]

[ナンバープレートの「品 5」がなんとも懐かしい]

[この時代のこの光景は、当時を振り返ると高級感に溢れている]

[スポーティで洒落た雰囲気だ]

[女性のスカーフや子供の帽子などのデザインが懐かしい]

(敬称略)

[2022‐12]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です