PRINCE SKYLINE 2000GT[1st]

子供にとってのヒーローの存在は時代が変わっても

受け継がれているようだ。

小生のそれは「月光仮面」だったが、TVで見ていて悪党の「サタンの爪」が乗っていた「CHEVROLET」に興味があったと言ったほうが正確かも知れない。

ところで、ヒーローと言えば「正義の味方」だが、ある意味「天下無敵」のイメージも強い。

そこで、小生に「天下無敵」をイメージさせたのは第40回東京モーターショー2007に登場した「NISSAN GT‐R」

団塊世代の自動車ファンと思しき人垣の中で私もしばし眺め入ったわけだが、正に「こだわりのスマートな怪物」の感ありだ。

ちなみにその源流へ遡ると「SKYLINE GT-R」、更に「2000GT」ということになるだろう。

そこで今回はその『SKYLINE 2000GT』の初代をご紹介することにする。

「PRINCE SKYLINE [2nd]」

https://s-kuruma.com/2019/08/25/prince-skyline-2nd/

でご紹介の通り、高級志向からファミリーカーへの変革を遂げた2代目「SKYLINE」。その全長とホイールベースを200mm伸ばし、グロリアの「G7型」SOHC 2.0L 105psを搭載したのが初代「2000GT」で、誕生は昭和39(1964)年だ。

ここにそのカタログからの画像をご紹介する。

秘めた実力とは正反対の非常にシンプルなカタログだが、ここでもう1つご覧いただきたいのは平成8年(1996)年に発行された歴代「SKYLINE GT」の特集カタログからのもので、第2回日本グランプリで優勝したレース仕様プロトタイプの

「ポルシェ904GTS」を

プロダクションモデルの初代「2000GT」が捕らえた劇的なシーンだ。

見事2位になったこの時のドライバーは生沢徹だった。

結果、2~6位を独占するという快挙を成し遂げたことはご存じの通りだ。

ちなみにツーリング部門クラス別では

[PRINCE MOTOR GUIDEより]

「2代目1500」が優勝~7位を独占した。

そして、第2回日本グランプリのGT部門クラス別で上位(2~6位)を独占し「スカG」の名を高めたことから翌昭和40(1965)年に進化版を登場させた。

それは、初代「2000GT」用オプションとして用意されていた3ウェーバー(40DCOE)キャブ仕様の125psエンジンを搭載、前輪ディスクを装備するなど最高速度180km/hにも達する超高性能だった。

ファミリーカーの姿をした怪物?だったことから「羊の皮を着た狼」と呼ばれた。

この進化の半年後、初代「2000GT」に変わる廉価版を復活させこれを「2000GT‐A」と命名、先の進化版を「2000GT‐B」とした。

「2000GT-B」については別途ご紹介する。

さて、初代「2000GT」誕生の昭和39(1964)年は東京オリンピックの開催や東海道新幹線開業、首都高速開通などの良い話題が多かった年。

しかし、一方で新潟地震が発生するという悲しい出来事も…、国体夏季大会が中止されることにもなった。

また、歌の世界では青山和子の「愛と死をみつめて」がレコード大賞に輝き、アメリカで坂本九の「スキヤキ」がゴールデンディスクを受賞した。

そのアメリカ、黒人暴動が発生した年でもあったという。

44年後の2008年、第44代大統領選でオバマ(初の黒人)大統領が誕生する事になったが、…大好きだった。                    

最後に、もう20年以上前になるが、小生にとって飛び上がるほど嬉しい事件‼

「スカイラインの櫻井眞一郎」にお会いする機会を得た。

「やさしさの中に何事も熱く語られる技術者魂を見た」というのが一生忘れられぬ印象だ。

(敬称略)

[2022-4]

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